目 次
日本の中年以上の孤独は際立っている
日本の中年以上は世界一孤独だそうです。高齢になるに従っての孤独自体は世界的な傾向ですが、どうも日本の中高年は際立っているらしいのです。
日本人の中年以上は孤独が好きなんですかね? それとも元々人と付き合うのが苦手なのでしょうか。
書店に行って並んでいる本を見てください。そこには「孤独礼賛」のような本がたくさんあります。よく売れているそうです。よく売れるという事は買う人がたくさん存在するという事でしょう。
孤独な人が多くなっているというのですが、みんな孤独が好きでそうなっているのでしょうか。そういう方々が共感できるから「孤独礼賛」の本がよく売れるのでしょうか。
孤独の価値を認め正当化することは正義なのか?
私はそうではないと考えています。自分の銀行員時代の経験からも違うと感じるし、世界から発せられる多くの論文や報告の多くが、孤独を有意義だとは述べてはいません。
だとすれば、今後ますます高齢化社会になってゆくにつれ、いよいよ孤独な男性が図らずも意図せずに多くなってゆくのであれば、これは少し考える必要があるかなと思うのです。
勿論、何に関しても例外は存在します。孤独状態にあり社会から孤立しているように見える中年であっても、実は、人生を謳歌し楽しんでいるということもあります。
しかし、それはごく一部の例外です。例外は、ことの本質を小さくするものではありません。
では、早速進んでいきましょう。まずは、私が体験した、孤独の深淵に落ちていった人達のお話です。
上場会社役員の退職後
まだ20代の頃、銀行の外交員として毎日回っていたエリアは、大きな住宅が建ちならぶ地域でした。
その中の一軒に上場会社の役員Mさんのお家があって、そのMさんが退職される前後の話です。
ある時偶然遭遇したのですが、お迎えの運転手が来て、そして車に悠々と乗られる姿を見て「やっぱり違うなぁ」と思ったものです。
程なく退職され自宅に入られたので、何回かお話をしたのですが・・・。悲劇が始まったのはここからです。
「わかってはいたんだけどねえ・・。全く電話がかかってこないんだよ。あれだけ毎日ゴルフの招待があり、飲みに誘われていたのにねえ」
50歳も年上の大先輩に「皆さんはご主人に頭を下げていたのではないですよ。ご主人の地位にペコペコしてたのですよ、取引のために。」
もし全預金が引き出されれば島流しの刑になりかねない大切な得意先の主人に、こんな大それたことを言う私はアホかバカか。
でもMさんの反応はそうじゃなかった。
「君の言う通りだ。それどころが、家内が疎ましがってね。毎日朝から晩までおられると息ができない、身動きが取れない。三食作る身になってほしいとね、君、こうだよ。」
あれほど会社に貢献してきた人が、退職してみると・・・
- 自分の身の回りのことが全くできない
- 一人で有意義に時間を過ごすことができない
本人がご不在の時の奥さんが、今まであれほど上品で言葉を選んで喋っていたのに「藤原さん、もう死にそうよ。あんな男に毎日家を占領されて、私の自由を奪うのよ。」
時を経ずしてご主人は毎日パチンコ屋通いとなって、しかしそれも続かず、今度は自分の部屋にこもって朝から酒を飲む毎日となって、結局退職後わずか1年半という僅かな期間でガンを患い亡くなりました。
孤独にまとわりつかれ、言うに言えぬ寂しさに耐えながら亡くなっていったMさんの気持ちはいかばかりだったのでしょうか。
一日が長い税理士
同じ団体に所属していた税理士のお話です。
税務署の署長をやって退職後に税理士になるという、よくあるパターンです。私と知り合った時は、既に仕事はほとんどを子たちと従業員に任せ、自由気ままで羨ましい身分でした。
大きなお家に住んで何不自由なく暮らしていて、この方が幸せでなかったら誰が幸せだと言うのか?みたいに思っていたのですが・・・
親しくなるとともに気がついてくるのですが、K先生の口癖は「することがない」「毎日が長い」、この二つです。
全くすることがないと言うのですね。
- 読書は嫌い
- 映画なんて見たくもない
- テレビは面白くない
- 音楽は興味ない
- 旅行はめんどくさい
- 女性への興味は消えた
- 早く寝るから飲みにはいかない
などなど・・・
自分では何もする気がしないから誰でもいいからなんでもいいから遊びに誘ってほしい。こんなK先生がゴルフや麻雀のお誘いを受けると、それはもう嬉しそうに意気揚々と行かれたんですね。
しかしそんな話は滅多になく、どちらかと言えば、みんな少し距離を置いているのでした。
さて、毎日こんな生活を送り何もしないK先生はボケはじめました。そして消えるように亡くなっていったのですが、この方もまたどんなにか寂しかったんだろうなって思います。
日本の仕事人の特徴
現在は以前と比べると、労働の流動化が進んでおり終身雇用制の影が薄れてきています。また、その流れに積極的に乗って人生を渡っていく人もいるようです。
しかし地球規模で比べれば、日本はまだまだ一組織に長期間安定的に所属して仕事をしている人が多いです。
この記事はそういった日本的な雇用環境を視野の中心において進めています。
さて、上記のお二人にはいくつかの共通点があります。
- 仕事をする組織という縦割り社会に非常に馴染んでいた
- 仕事と仕事上の付き合いがイコール唯一の趣味だった
- 仕事場に関係しない付き合いや友人がなかった
- 自分のことも家のことも奥さんに任せきりだった
- 夫婦の会話がなかった
こういった共通点から何が見えてくるでしょうか。
仕事場が唯一の居場所であるという点ですね。それが全てであり、それに十分に満足していて、それ以外のことに興味を示さない生活が長年続いたわけです。
しかし永遠にそれが続くはずもなく、やがていつかは退職しなければならなくなります。現実にそういう事態に直面して、臨機応変で柔軟な生き方が全くできないんだと初めて気づきます。
もう一つ重大なこと。そういうお家であればあるほど、奥さんは長年の間に独自の世界やネットワークを構築しており、そこで旦那さんとは関係なく生きてきたのです。
これを突然潰されるとなれば、大きな軋轢が起こるのは当然です。火を見るより明らかって、こういう時に使うのでしょう。
退職して初めてえらいことに直面していると実感した中年男性は(自覚を持てればまだいい方?)、やがて起こりうる事態にどう対処すればいいのか?
機能しない夫婦としての中年男性
退職する頃の夫婦相互に対する認識には既に大きな隔たりがあるケースが多いようです。
当然でしょう。家庭を顧みず会社人一筋に歩んだとなれば、奥さんは必然的に放ったらかしにされるわけです。
それが長年続くと、奥さんは奥さんで自分の世界を作っていきていかなきゃしょうがない。それが軌道に乗ると却って潤いのある人生になったりしているのです。
日頃ろくにコミュニケーションを持とうとしない男性は、勝手に「仕事頑張って家庭に貢献しているし、そう評価されている」と思い込んだりしています。
そういうところの男性に限って、毎日家で奥さんが家事に子育てに奮闘している心身の疲労の大きさに気がつかないんですね。
かかる状況下、奥さんがパートであれ派遣であれ正社員であれ、経済社会で仕事までこなしていようものならもう最悪です。
長年こういった状況が続いた挙句、退職したからといって、これから夫が毎日一日中家にいるとなればどういうことが予想されますか?
それも家事一切しない、三食昼寝付きとかって気持ちを持っていようものなら、そりゃ奥さんブチ切れでしょ。
う〜ん、せめて知らん顔して自分の掃除洗濯食事くらい黙ってやっていれば、まだなんとかなるかもしれない。
でも、元からそういうことをしない人は自由時間だらけになっても、まあしないでしょう。
理解をされようにも、そもそも接点が存在しない。
奥さんからしたら極端な話、今後の経済的な目処が立っていれば旦那はもはや存在意味のないものなのです。
このような家庭であれば、当然子供さんの父を見る目も厳しいでしょう。奥さんフィルターが強くかけられている可能性大ですし。
こんなギリギリのギリまで来てしまって、果たして立て直しがきくでしょうか?
友人が減っていく
ちょっと話を変えます。最終的には全部繋がる予定です。
誰でもそうですが、年をとるにつれて友人は減っていきます。学生の頃は友人がたくさんいて、その繋がりが楽しく心が満たされて有益でもあったのですが・・・
社会人になると、みんな散り散りになるし、仕事や会社での人間関係のウエイトが心理的にも時間的にも増していって、必然的に親しかった友人との距離が遠くなっていきます。
仕事上できる人間関係と、特別なつながりを感じる親友とはその意味合いが本質的に違います。なんでも本心で話あい喜びも悲しみも共有できる絆は、仕事を介しては利害関係のある間柄では出来ないのです。
旧知の友人は遠くなっていく。さりとて、近くで新しい友人ができるわけではありません。世界的に見ても、日本人の男性は気の許せる大切な人たちと過ごす時間が極端に低いんですね。
年を重ねるにつれ孤独になっていくのは世界共通だとしても、日本の男性に極端なマイナスの方向性が見えるのはどうしてなのでしょうか。
2016年に出た内閣府の調査によると、「家族以外に相談あるいは世話をし合う親しい友人がいるか?」という問いに対し、実に25.9%の高齢者が「いない」と回答しています。
60歳以上の日本人男子は4人に1人が究極のぼっち、絶対的完全孤独状態になっているのです。奥さんがいて双方が健康で仲睦まじければまだいいのですが・・・
お喋りにおける男女の違い
女性と男性の脳のつくりは違う、とよく言われますが、それは会話にも現れています。
男同士の会話には何か背景が必要です。職場環境や地位、ゴルフやゲームなどの同じ趣味、政治に関する考え方や思想などなど。しかも一通り話あうと途切れてしまいます。
ところが、女性の場合は全く違っていて、同じ基盤に立ってなくてもエンドレスで話ができてしまうのです。男から見れば、どうでもいいことを長々と喋っています。
二人寄れば病院の話、三人寄ればお寺の話・・・そうして延々と続いてゆくのです。
それは長電話の定義についての差にも表れています。
- 女性は30分〜1時間が長電話と認識
- 男性は10分〜30分が長電話と認識
こんな回答結果です。
こういった傾向は、中年男性の孤独を考える上で重要なポイントになってはいないでしょうか。
さて、ここまで現象面のお話をしてきましたが、次から、何にどういう風に悪影響を及ぼすのか、どういう対策が考えられるのか実行すべきなのか等についてお話ししていきます。
孤独の何がいけないのか
孤独の何がいけないか?と問われれば、答えは簡単です。世界中で、体に悪い或いは心に悪いというデータや論文がいっぱい出ています。
孤独はタバコや肥満と同様、もしくはそれ以上に悪い、という結論は多くの研究で発表されています。
アメリカの大学の調査では・・・
- 孤独感がある
- 社会的に孤独である
- 一人暮らしである
そう感じているそういう状態にある35歳以上の350万人の対象者については、死亡リスクが26〜32%高かったとあります。孤独が命の長さを縮めているのです。
一方、数々の研究結果から、愛する人たちに囲まれて生活していると、健康で認知症リスクが低減することが知られています。逆に、そうでない場合は高血圧を引き起こし免疫力が低下する傾向にあることもわかっています。
私のような素人が考えても、暖かくて人間味のある繋がりを感じる環境下で暮らすよりも、孤独で社会的に孤立している方が心身に悪影響を与えるだろうと想像はつきます。
溺れる危険
さて、孤独が与える別な面として何かに溺れてしまうということがあります。
仕事を辞めた結果、今まで周りにいた人たちがいなくなり、かといって毎日接する友人もなく、(結婚している場合)妻には距離を置かれ、孤独を感じずにはいられない状況でどうするのか?
自分の二本の足でまっすぐに立てなくなって、上記の元会社役員のように酒などに頼るようになる危険性ですね。博打でも女でも同じですが、本当に溺れてしまうと不可逆的になってしまいます。
そういえば、世界的に見ても孤独率の高い日本の中年男性ですが、自殺率の高いのもこの40〜60才台なのです。これは同年代の女性の2倍です。
孤独に陥ってしまった中年男性の末路。せっかくこの世に生を受け、それなりに頑張ってきたのに、あまりに悲しいじゃないですか。
孤独の危機から脱出する術はあるのか
孤独地獄から這い上がれるか? これ、考えれば考えるほど難しい気がします。
ラッキーにも定年後に安定して新たな仕事ができれば、それをやっている限りは社会から疎外断絶という事態は免れます。
時間もそれなりに取られますし、社畜扱いされて破綻でもしない限り、まま、何らかの充実感も得られないことはないでしょう。
しかし、先に挙げた例のように経済社会の一員としての資格を返上してしまうと、これまで説明してきたような問題が表面化する可能性が俄然出てきます。
で、何が難しいのか、孤独地獄に陥らないこと、陥った人が這い上がることの何が難しいのか?
受け皿がないわけじゃない
孤独地獄に直面しないたった一つの方法は、社会との関わりを絶たないこと、これに尽きます。受け皿がないわけじゃないのです。探せば、その気になりさえすれば、色々と見つかります。
- 合唱団に参加する
- チームスポーツに参加する
- 趣味のクラブに参加する
- 勉強会や講習会に参加する
- いろんな種類の社会奉仕活動に参加する
- 政治集会に参加する
- 宗教集会 例えばキリスト教の日曜学校などに参加する
- 近所に安くて気さくな飲み屋を探す・作る
- ネット世界 ゲームやSNSで知り合いを作る
そのほかにも何なとあるので、継続できるものに参加して知り合いを作り増やしていくことで孤独は解消されていく可能性大です。
私のオススメは合唱団の一員になることです。歌が好きとか嫌いとは、そういうことは置いておきます。
みんなで一丸となって同じ曲を指揮者の元に歌っていると、周りの人たちをあんまり知らない状態でも、かなりの一体感を感じることができます。この一体感充実感は、体験して初めてわかる感じることなのです。
更に、定期演奏会を行えるような歴史ある合唱団だとより充実感が得られるし、みんなと喜びを分かち合えるし、落ち着いた長く続く人間関係を築ける可能性が大きいです。
ネットが発達きてきた昨今では、ネットを通じた活動もあって、そういうところに登録して一員になるという方法もあります。
例えば・・・NPO ひとりネット
しかし・・・、実はそんな簡単なものではない気もするのです。
そもそも、その気にさえなれば受け皿はあるし方策もあるのに、孤独に陥る中年男性はそういうところに参加して自分を変えようとする意識が極めて薄いのです。
そして悶々と悩む。ひょっとしたら、悩むことすら忘れてひたすらに孤独感に耐えている。
考えれば考えるほど難しい問題です。
料理を口元まで持っていくことは他人ができるけれど、食べる行為は自分でするより他に方法がないのです。
心身の老化がもたらすもの
次は、心身の管理面から孤独を考えてみましょう。
40歳を過ぎていよいよはっきりしてくるのは、心の老化・体の老化です。もちろん人による違いの差は大きいのですが、老化という方向性を持たない人は一人もいないはずです。
この劣後変化はすごく大きな影響を心に及ぼします。ですから、対策をきちんととっておくことは、孤独一直線にならないために殊の外重要です。
ネットで検索すると対処法について色々と専門家が意見を述べているのでそれはそれで参考になるかもしれません。
そう、いつからかしら、全般的なやる気が大きく減退して、何をするのも面倒になっている自分に気がついてあれこれと調べたのです。
でも・・・私にはどれもこれも全く納得できるものがありませんでした。
その時はまだ経済人として現役バリバリだったので、少しでも自分を元に戻す方策を真剣に考えました。
散々考えた結果、自分自身に対する自己診断は、諸悪の根源は・・・
- ホルモン分泌バランスの悪化
です。無数のホルモンが必要に応じて体のあらゆる部分に必要な種類を必要な量だけ分泌するから、受容体がうまく受け取るから、体は正常に機能するのです。
この機能を若い頃の状態に近づけるためには何をすれば良いのか。私の出した答えはめっちゃ簡単です。
- 食事のバランスをとる
- 筋肉運動と有酸素運動をする
飲酒を控えて脂肪要素を減らしタンパク質を積極的にとり、一方、室内では腹筋運動やスクワットや腕立て伏せや早い動きを連続してやる無酸素運動。
屋外では10km程度のジョギング。
こういったことを相当徹底して継続して行いました(今も継続している)。その結果、やる気は完全に元どおりになりました。体自体の状態も極めてよくなりました。
孤独や鬱の入り口に立っても、なんの助けがなくてもそこから戻ることができると自分自身に身を以て示せたと自負しています。
誰でも歳を取ってくるとよくない変化が生じるし、それを感じることができます。大切なのは、それ以上悪化する前に、よく考えてアクションを起こし継続することだと思います。
自分の老化変化に対し、これを良い方へ押し戻す努力、そして実感さえつかめればOKです。
その上で、親友がいなくなっても家族や奥さんとうまくいかなくなっても、身を置く場所を探すことは上記の通り難しくないと思います。
そう、社会のネットワークの中で居場所を提供してくれる場所はきっとあります。
まとめ
世界の孤独を一身に背負ってしまったような日本の中年男性の問題と解決に導く方法について考えてみました。
もちろん日本の中年男性の孤独化は一種突出している感はあるのですが、全世界が抱えている共通の問題でもあります。イギリスなんて孤独問題担当大臣(Minister for Loneliness)まで作ってしまったのですから。
孤独が精神や肉体を蝕んでゆくことは、社会全体で見ると、本人の辛さもさることながら大きな経済的損失にもなるでしょう。
ということは、孤独人を救うコミュニティーの充実などの施策は社会利益にも合致していると言えます。
世に生を受けた人が幸せに一生を全うするために、どんな事情でどんな環境で孤独に向かっていくのであれ、それを食い止めなければなりません。
上に私が力説したように本人の強い努力が必要です、また、それと同じくらい社会の理解とすくい上げる仕組みの充実が必要です。
ただ一つ気になることが・・・
どちらかと言えば、戦後一貫して日本人は疎遠社会を望んできたので、それが今日の問題を生んだとは思いませんか?
私が幼少の頃はどこでも近所同士の連帯意識が強くて、三日も顔を見ないと心配して様子を伺いに来てくれたものです。
両親の故郷では、人が亡くなると、近所の女性たちがみんな申し合わせたようにそのお家の台所に立ってたくさんの料理を勝手に作っていました。
そういう繋がりをいつしか日本人は疎ましく思うようになったんですよね。そして、繋がりを嫌う人達同士が今の社会を作り上げたら知らぬ間にこうなった、とは感じませんか?
つまり極論すれば、孤独になるための社会をみんなで作っているとは思いませんか?
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