目 次
台北孔子廟の歴史
当初は南門付近
台北孔子廟はMRT淡水線の園山駅から西へ徒歩10分足らずという便利な場所に位置してます。しかし当初からこの場所にあったのではありません。
台北孔子廟の歴史は古く、もともとは城郭都市であった頃に南門付近に建てられました。1879年から建築を開始して1884年にはほぼ完成を見たのでした。
別記事「台北観光では外せない中正紀念堂・総統府そして西門町」の「西門町」を御覧ください。
そうして関連する儀式も壮大に行われるようになったのですが、日清戦争終了後1895年に日本が統治するようになって事情が変化していきます。
というのも、日本軍が孔子廟の中を駐屯地としたために、だんだんと荒廃していったのです。その後完全に取り壊され日本語学校が建てられました。
こういう推移に当時の台湾人はどんな思いを抱いたのでしょうか?
大龍峒に再建
しかし日本政府は孔子やその教えである儒教自体を禁止していたわけではなかったので、少しずつ祭礼が復活するようになりました。
そして廟再建の機運は高まり、1925年に黄贊鈞、陳培根、辜顕栄といった人たちを中心に、官吏、富商など200人以上の人たちから寄付を集めて、また、大龍峒(現在の地)で土地の寄付があって、遂に1927年に着工をスタートしました。
設計・建築には福建省の名大工・王益順が呼ばれてこれにあたりました。
着工後3年が経ち、1930年にはほぼ主だった建物が完成して位牌も新たに祀られ、長らく中断していた生誕記念式典が開催されたのでした。
以後、資金が枯渇して残り部分の建設が中断していたのですが、再び寄付を呼びかけて工事再開となり、1939年にはほぼ全てが完了して完成を見たのでした。
それから太平洋戦争に突入し日本は敗戦して台湾を去り、入れ替わりで中国国民党が入ってきました。
そして一時中止されていた祭典が復活し、特に1950年には孔子生誕2,500年記念として非常に盛大なる行事が執り行われました。
民間管理の限界
さて、この台北孔子廟は全て民間の寄付でここまで来たわけですが、1,951年に国に寄贈されました。
政府からの補助があったとはいえ、よくここまで民間人だけで建設・運営がされてきたもんだなと思います。
補修に運営・管理といっても、まずお金! それにノウハウや人員の固定的な確保となると、如何に崇高な理念のもととはいえ、いつかは厳しい局面を迎えますよね。最善の判断だったのではないでしょうか。
今では台湾市政府民生局孔子廟管理委員会の所轄となっています。
以上のように紆余曲折を経て今日の孔子廟の姿があります。他国に翻弄され続けてきた台湾の歴史を鑑みればとても感慨深いものがあります。
孔子の家系図はギネスブックに「世界で最古の(最も長い)家系図」として認定されています。
「孔子世家譜」というんですが、これが相当にしっかりしています。というのも、
- ごく一時期一部の例外を除いて孔子の子孫は大事にされてきたからなんですね。
- 一族の会の組織力が強く、系譜がうやむやにならず、かつ的確な検証が継続的に行われているからです。
そして子孫は現在では80代を超え、合計人数は数百万人にもなり、各アジアやアメリカなどに広く住んでいて日本や台湾にもおられるそうです。
さあ孔子廟に行こう
MRT淡水線の園山駅を進行方向に向かって前側に降ります。そして駅から庫倫街を西に歩くと10分足らずで到着です。
一本道なので迷う心配がありません。孔子廟の南壁には「萬仭宮牆」という大きな文字が書かれており、庫倫街を歩いているとこれが右側に見えてきます。はい、もう到着です。
萬仭宮牆(まんじんきゅうしょう)
「萬仭宮牆」は論語の中にある孔子の弟子・子貢の言葉から来ているものです。
- 「宮牆」は宮殿の塀・壁の意味
- 「萬」は「万」で数の単位
- 「仭」は高さ・深さの単位
さて、どういう意味なのでしょう?
ある時「子貢は非常に優秀で孔子以上ではないか」と言われているのを伝え聞いた子貢は次のように話しました。
「建物の壁に例えると、私の高さは肩ぐらいなので中が簡単に見えます。しかし孔子先生の壁は高くて、中を見ようとすれば門をくぐり入る必要があります。現実にはそれが叶う人も少ないので結局知ることができないから、そのような誤解をするのでしょう」
つまり、孔子の教義は高くて深くて、その核たるを知ろうとすれば、よほど熱心に勉強しなければ難しい、という意味です。
孔子子孫の名を見れば、孔子から数えて何代目かがわかります。逆に言えば、その代用に決められた字を必ず名に使わなければならないんだそうで、これを「輩行字」といいます。例えば、
- 75代目は「祥」
- 76代目は「令」
- 77代目は「徳」
- 78代目は「維」
と言った具合です。
台北孔子廟の「萬仭宮牆」は孔子の子孫・孔徳氏の書ですが、上記で確認すれば77代目であることがわかりますね。
四猿
写真をみてください。「萬仭宮牆」から少し歩くと右折する前に「四猿」がいます。仕草が可愛いでしょ。「三猿」「四猿」の起源は結構奥深いものがあります。
- 礼にあらざれば見るなかれ
- 礼にあらざれば聴くなかれ
- 礼にあらざれば言うなかれ
- 礼にあらざれば動くなかれ
黌門(こうもん)と泮宮
「萬仭宮牆」を見、「四猿」を見ながら歩いて角を右に曲がると「黌門」に到着します。孔子廟の正門は「黌門」ともう一つ、東側に「泮宮」があります。
でも「泮宮」の方には行ったことがないのでよくわかりません。たぶん庫倫街から「泮宮」へは行けないと思います。
黌門や泮宮はともに学ぶ事あるいは学校という意味です。
高雄や台南の孔子廟に行かれた方が台北の孔子廟のこうした門を見たら違いに気がつくと思うのですが、建築様式は一つではないんですよね。というか見た目がぜんぜん違う!
牌坊や門楼といった形式があって、台北孔子廟の場合は黌門・泮宮ともに二重屋の門楼で、左右にピンととんがった形がすごく印象的です。いつも鉄腕アトムを思い出します。
牌坊という形式は、横浜や神戸の中華街入口の大きな門がそれに該当するので思い浮かべてください。
黌門の中
黌門をくぐるとちょっとした広場に出ます。右前には礼門があり左手奥には明倫堂があります。
この広場には桃と李(すもも)の木が植えられていますね。そして写真のように説明の看板があります。
「至聖先師孔子」とは孔子のことで、明の世宗から贈られた封号(ほうごう)です。孔子の評価は没後に高くなり、多くの時代にたくさんの封号が贈られています。
「桃李」とは孔子の優秀な弟子を指しています。桃や李(すもも)は
- 春に美しい花を咲かせ
- 夏に涼しげな葉を生い茂らせ
- 秋に豊かな果実を実らせ
- 冬に落葉して無常をあらわす
ということから「美しく徳がある優秀な人」の例えです。
全体の意味は「ここに植えられている桃と李は、孔子の優秀な弟子たちが社会の至る所にいる、ということを表しています」くらいでしょうか。
そういえば俳優の松阪桃李さんの「桃李」も同じような由来と聞いています。「桃李不言下自成蹊」
サービスセンター
黌門をくぐってすぐ右にサービスセンターがあります。ここで是非借りていただきたいのが日本語の解説機です。これ一つあれば楽しさが倍増します。
その他サービスセンターでは車いすの無料貸し出しサービスも行っています。
礼門と義路
黌門をくぐり正面右に見える二つ目の門は「礼門」と言います。東側の泮宮から入れば二つ目の門は「義路」になります。
これら二つの門は中央に入って行く重要な門ですが、写真の通り、黌門と比べると随分小さくて簡素ですね。
泮池(はんち)
礼門をくぐり抜けると右前方に「泮池」が見えて、その上に「泮橋」がかかっています。
昔、天使の学校と諸侯の学校があり、
- 天使の学校は四方を池に囲まれていましたが
- 諸侯の学校はそれを許されず南側の半分を池にしました
孔子は唐時代の玄宗皇帝から「文宣王」という封号を贈られましたが、これは諸侯の最高位を意味するので孔子廟にも「泮池」がおかれるようになりました。
中国では昔「秀才」が孔子廟を拝礼する際には「泮池」にかかる「泮橋」を渡り、そして門をくぐって大成殿へと向かいました。
しかし台北孔子廟は実際行ってみると、形式は踏んでいるけれども上記の意味においては実用的ではないと感じます。
実用的でないといえば、台南孔子廟の礼門や義路も形式に則ってはいるけれど、そこをくぐらなくても大成殿に入れちゃうんですよね。
それはさておき、写真を見れば感じると思いますが、「泮池」の造形がとっても綺麗です。先日行った時は橋を渡って8の字に池を2周しました。とっても落ち着く佇まいです。
もう一つ、池といえば水。この池は火災の備えでもあります。
麒麟の照壁
先ほど孔子廟外壁の「萬仭宮牆」についてお話ししましたが、実はその真裏内側には丸い麒麟の照壁があります。
謂れは、孔子が誕生した時に出現して「聖人の誕生」を伝えたことで、ここから賢い子を麒麟児と言うようになりました。
また麒麟は「仁獣」とも言われ、儒教の「仁徳」を持った動物なので生きた草や虫を踏むことはないと言われています。空中に浮いて歩くということですか?
麒麟とキリン
ややこしいですが、中国の麒麟と動物のキリンはもともと関係がありません。麒麟は善政が行われ平和な時代に出現するとされる想像上の聖獣です。
キリンビールのラベルを見ても、麒麟はキリンとは似ても似つかぬ姿ですよね。
動物のキリンが初めて献上されたのは明時代の鄭和(ていわ)の南海遠征によってですが、この時に王の配下がこぞって「麒麟があらわれた」と言ったのです。
- 「麒麟と言った人」
- 「麒麟と言った理由」
はともかく、明時代に麒麟=キリンになったのは間違いないようです。
日本ではこの故事からキリンと呼ぶようになったのですが、実は今の中国では実在の動物は麒麟(チーリン)とは呼ばず長頸鹿(チャンジンルー)と呼んでいます。どうしてでしょう?
なかなか面白いですね。中国のネット上でも、こういった日本と中国の文化の交差は時々話題になっています。
ところで、写真の麒麟の足元をみてください。なんか踏んでるでしょ。踏んでいるものとその意味は・・
- 右前脚の「巻物(書物)」は「知識・礼」
- 左前脚は「瓢箪」は「富・幸福」
- 右後ろ脚は「官印」は「出世」
- 左後ろ脚は「如意」は「意のまま」
全然関係ないのに七福神が乗っている宝船を思い出しました。それにしても、どうして大事なものを「踏んで」いるのでしょう? 確か龍は掴んでいましたっけ。単に足の形状の違いなのか? なんだかよくわかりません。
櫺星門(れいせいもん)
それでは泮橋を渡って、前へ進みましょう。櫺星門です。
「櫺星」とは文運を司る星の事で、孔子を守っています。また科挙の最終試験である殿試に受かって進士になることも意味しました。
門の装飾として54個の門釘が打たれていて両開きの合計で108個です。古い建築様式の一つですね。
建築的には、複数枚の板を門扉に使っていて、門釘はこれを止めて固定する役割を果たしています。また、108個の意味ですが、天上の108個の星座をあらわしていると言われてます。
中央門の両サイドに立っている二本の龍の柱を見てくださいね。これが物凄い緻密で精巧な作りで、龍山寺の龍の柱もそうですが「凄い」としか言いようがないです。
それから屋根。下から見ると小さくなりますが、たくさん色とりどりの可愛い動物がいますよ。専門的知識がなくても文化を感じますね。
櫺星門は「違う」
冒頭にも記しましたが資金不足が理由で孔子廟は一気に完成されていません。しかも二期工事には当初の総監督だった名棟梁の王氏が亡くなっていませんでした。
櫺星門の建設は二期目です。従って王氏はかかわっておらず、儀門とは違い台湾の大工が作りました。行かれた際には、是非儀門との違いを確認してみてください。
さてこの櫺星門、全体の姿は二重の屋根を持って屋敷の表のようにも見えます。写真を見比べてください。台中や高雄の孔子廟の櫺星門とは「え〜」ってくらいに違うでしょ。そうなんですよ。
儀門
櫺星門をくぐって、いよいよ大成殿の手前の門、儀門に来ました。孔子の教えが学問や思想の集大成であるところから「大成門」とも呼ばれます。
櫺星門もそうですが、孔子の祭典の時を除き、平生は真ん中の門は開きません。
写真を見ると、門前の広場でおなじみの風景が見られます。
今回は太極拳ではなく、日本のウルトラマンか何かの主題歌の北京語バージョンに合わせた創作体操でした^^ 何の違和感もなくやっているところに親しみを感じます。
普段の出入り口は左右に2つあり、左側が「金声門」、右側が「玉振門」と呼ばれています。
「金声」も「玉振」も中国の楽器の種類の事で、「集大成とはこの2つの楽器の音色を併せ持つようなもの」と「孟子」に記されています。
交趾陶(こうちやき)
また櫺星門もそうですが儀門にも白を基調にした陶器作品が飾られていて非常に綺麗です。これを交趾陶といいます。
多くの廟において装飾品として使われているので、どこかでご覧になった方も多いと思います。特筆すべきは「剪黏(せんねん)」という造形技術で、非常に精巧で艶やかな姿を作り出しています。
目を近づけてじっくりと見てみてください。ほんとうに綺麗ですよ。
この台湾の貴重な伝統工芸の中心地は嘉義県の新港鄉板頭村というところです。
私の記事で嘉義県は、台湾の高校が甲子園での奇跡の準優勝を題材にした映画「KANO」の関連ででてきますが、もし嘉義県に行かれたら是非新港鄉板頭村にも寄ってください。
【板陶窯交趾剪黏工藝園區(板頭村)】
住所:嘉義縣新港鄉板頭村42-3號
電話:05-7810832
営業時間:月曜~日曜 9:30-17:30
定休日:清明節及び正月
交通:台湾鉄道嘉義駅からタクシーで約15分
Facebook:板陶窯交趾剪黏工藝園區
螭龍圍爐(ちりゅういろ)
儀門中央主門の両側に木彫彫刻が施された窓があり、これを「螭龍圍爐」といいます。
「螭龍圍爐」の字からすれば、小龍の一種「螭龍」が香炉を囲んでいる、と云うことになります。8頭で囲んでいる図なのですが、訪問時に確認してくださいね。なかなか判別が悩ましいです^^
そういえば屋根の両端には「鴟吻(しふん)」とか「螭吻(ちふん)」と呼ばれる龍と魚の間の子のような龍がいますが、これも子龍です。
蛇足ですが、日本には子龍の話が伝わってないですよね。どうしてなのでしょうか?
龍には九子がいます。それぞれ独特の姿をして特有の能力があります。そして年月を経ても姿が変わらないという特色があるのです。つまり本来の龍の姿にはなれない。
その九子にはやたら難しい名前がついていて、実際の実用品・芸術品・楽器などを飾っています。
- 贔屓(びき) 重いものが大好き
- 螭吻(ちふん) 高い場所から遠くを見るのが好き
- 蒲牢(ほろう) 大声で叫ぶのが好き
- 狴犴(へいかん) トラの顔を持つ龍。獄門の上で罪人を睨んでいる
- 饕餮(とうてつ) 顔だけあって胴のない龍。飲み食いが大好き
- 睚眦(げし) 残虐な殺し屋
- 狻猊(さんげい) 獅子に似た形で火と煙が好き
- 椒図(しょうず) 貝に似た形をして常に口を閉じている
- 囚牛(しゅうぎゅう) 悪さばかりをして龍世界を追い出される。辛くて音楽が好きになる
大成殿外観
ついにやって参りました大成殿。孔子廟で一番大切な場所、孔子の位牌が祀られているところです。
儀門から歩いてゆくと大成殿中央に迫り出した台があり、これを「丹墀(たんち)」といい、祭典の際の儀式や舞の奉納に使われています。
ここの丹墀は狭いために実際の祭祀が行われる場合は臨時に拡張される場合が多いようです。厳格な儀式だけではなく、ロックコンサートなども行われています。
「丹墀」を見て、日本の寺社にある舞を奉納する舞台を思い出しましたが、どこかで繋がっているのか繋がっていないのか・・。
「丹墀」のことを「月台」とも呼びます。この「月台」という単語、台湾旅行ではほぼ必ず見ます。どこででしょう? はい、正解は列車の駅ですね。列車のプラットホームを「月台」といいます。
丹墀の前にある斜め状のものは「御路」です。階段はついてないので象徴としての通り道ですが、ここにも龍の子である「螭龍」の見事な彫刻が見られます。
柱と屋根
さて、実際に見てちょっと違和感を抱いたのが大成殿の柱です。これね、全部石で出来てるんですよ。
木の柱と比較した場合、捻じれとか曲げの力にどうなのでしょう? 今まであちこちで散々見て全然気にならなかったのですが・・・
そのうち中央二本の柱にはここにも龍の子「蟠龍」で装飾されてます。
屋根に目を向けると、二重の屋根で「歇山重檐」といいます。「歇山重檐」の日本語読みってあるのでしょうか? 「けつさんちょうえん」であっているのかな・・
それはともかく、屋根には装飾がいっぱいです。
中央には七重塔がありますこれは魔除けです。
屋根の両サイド、ツバメの尻尾のようなところで亀に乗っている円柱形で龍模様の「通天筒」。これは孔子の徳を表しています。
その他にも屋根には謂れのある動物がいっぱい飾られています。もっと近くで見られないのが残念というかもったいない気がします。
大成殿内部
内部に入ると正面奥に孔子の位牌が祀られています。その上には蒋介石の筆による「有数無類」と、馬英九の筆による「道貫徳明」の大きな額が飾られています。
その左右には四人の聖賢である四配(しはい)の位牌が、そして更に孔子の優秀な弟子である十二哲の位牌が祀られています。
部屋の内部には色鮮やかな楽器などが置かれています。
もう一つ忘れずに見て欲しいのが室内の天井です。八角形の「藻井」という非常に精巧で荘厳な装飾です。
ところで、一つ気になるのは孔子の像がないことです。台湾の孔子廟を訪ねて孔子像を見たことはおそらく一度もないはずです。
もし記憶に間違いがなければ全部位牌です。孔子像そのものは日本の廟には安置されているケースを知っています。きっと何か理由があるのでしょうが私にはわかりません。
東廡(とうぶ)と西廡(せいぶ)
儀門を入ると、左右に東廡と西廡の非常にシンプルな佇まいがあります。一番最初に見た時は渡り廊下のようにも見えました。
儀門と大成殿そして東廡と西廡とで孔子廟の一番核たる部分を構成しています。昔の中国建築様式で「合院」といいます。
東廡・西廡の内部には孔子の弟子と儒学者・賢人が154名祀られています。
崇聖祠
孔子廟の一番奥にある建物で、「啓聖祠」とも呼ばれています。
ここには祖先5代、そして孔子の長兄、四配・賢人の父が祀られています。
六芸体験
台北孔子廟には「六芸マルチメディア常設展」という展示施設が、櫺星門・東廡・西廡・東庫(崇聖祠)に分散されて、それぞれにテーマを持って展開されています。
これは「台北孔子廟歴史エリア観光再生計画」という台北市政府の肝いりで2008年からスタートした事業です。
コンセプトとしては現代のテクノロジーを利用して、楽しくわかりやく孔子の世界・儒学の世界を理解してもらおうというものです。
実際に見た感じでは、四ヶ国語にも対応していて見やすくて、関係局は相当力を入れて制作したように思います。
ところで儒学の六芸とは
- 礼 祭礼
- 楽 音楽
- 射 弓術
- 御 馬や馬車を操る5つの法則
- 書 文字・書道
- 数 数学
いずれも見たり操作したりして楽しく学べるようになっています。写真で雰囲気が掴んでもらえるでしょうか。
個人的に足が止まったのは、さまざまな楽器・漢字の形の変遷・ピタゴラスの定理の証明あたりです。
明倫堂
孔子廟は学廟ともいわれ、廟と学校が併設されている場合が多いです。
民間の寄付だけで建設された台北孔子廟は、資金不足のために当初は明倫堂がありませんでした。1956年になってやっと完成しました。1991年になって、さらに講堂・図書室・陳列室が追加されました。
今でも儒学や書道、古楽器などの研修会や勉強会が開催されており、古来の役割を踏襲しています。
また、お土産販売コーナーや食事・喫茶ルームも有ります。
しかし何と言っても台北孔子廟・明倫堂の最大の目玉は、上記の「台北孔子廟歴史エリア再生計画」に沿ってできた4D劇場です。
ここでは、特殊なメガネを掛けて超現実空間をつくりだし、孔子の諸国遍歴・台北孔子廟建設の歴史・祭礼の様子などが体験できます。
宣伝文句では「吹雪・振動・風雨などがまるで実体験しているように感じる」そうです。
残念ながら私はまだ見たことがありません。訪問の時間帯が悪い。一日のスケジュールのトップに持ってくると「開いてない」とかはよくありますね^^
(おまけ)台北ランタンフェスティバル2016
台湾のランタンフェスティバルは19900年に始まりましたが、今や国をあげてのお祭りに成長しました。
毎年、旧正月(元宵節)の期間中に約10日間にわたって開催されます。
期間中は、大小ランタンで作った様々な人形やオブジェやLED照明を使ったデコレーションなどで会場が美しく変身します。
その他、期間中ステージでは音楽バンド・ダンスパフォーマンス・クイズショーなど多くのプログラムが沢山の景品とともに用意されております。
さて、当日は士林夜市であれこれ食べ歩き(with ビール)あと寝るだけ。結構な疲労感はありつつも、いい感じでMRT淡水線に乗って中山へ向かってたんですね。
ところが基隆河をこえたあたりで左前の一帯が、なんかえらいチカチカピカピカしており心をくすぐられましてね。
ベッドで寝たい誘惑を振りきって降りたのが圓山駅です。だから圓山駅つながりでここに載せているのですが、とにもかくにも美しい写真をいっぱい撮ってきました。ご覧ください。
さいごに
台北孔子廟、如何だったでしょうか?
ここは日本語案内が相当しっかりしていて、かつ解説機も無料で借りられるので、ちんぷんかんぷんということがありません。廟内を回っていてよく理解ができると思います。
また上記のように市政府の肝いりで、出来るだけ堅苦しさを外して、親しみやすく観光施設化している部分もあるので、結構満足度が高いのではないでしょうか。
だがしかし、実は・・・いつ行ってもあまり人はいません。ほんとに良い施設なのに。台南の孔子廟は大成殿なんかは有料なのに、いつも結構人が多いんですよね。
なんなのでしょう? 行くに足りないようなところなのでしょうか?
充実度やリラックスできる空間を知っているから断言できますが、はっきり言って穴場です。少なくとも故宮博物館に行って人に揉まれるよりは遥かに心に残ります。
全体の内容の濃さも考え合わせれば、ゆっくりと見て回る価値は十分にあると思います。しかも無料です。
孔子は勉学の神様ですが、一度も孔子廟に行ったことのない台湾の学生は非常に多いです。一般の台湾人においてもそうです。はっきり言って人気があるとは言えません。
ほん近くの行天宮や龍山寺の人気と比べれば、その差は明らかです。信仰熱心な台湾人社会におけるこの現象はどういうことなのでしょうか?
はっきりしている理由の一つは、孔子廟はコンビニエントではないんですね。もちろんそれだけではありませんが・・
「行こう」と推薦しながら何故このようなことを書くのか? 水を指しているのではありません。単なる事実です。
「出来るだけ多くの情報を」と思っているだけです。穴場である大きな所以であるとも言いたいのです。当然ながら、不人気≠無価値です。
孔子廟内を歩いていると時々轟音が聞こえてきます。それは、すぐ東側に松山空港があるからです。飛行機が着陸態勢でくるので、そこそこ大きい機体が真上を降下していきます。
もう一つ、この地区は孔子廟以外にも行きたい場所がたくさんあります。
道向かいが保安宮なのでセット訪問がいいですね。ついでにも一つセットすると尚いいのが「大龍夜市」。
大龍夜市は孔子廟と保安宮の間の道、大龍街南側に展開する僅か100mほどの超ローカル夜市です。地元の人がめし食うところですね。はっきりいって観光客用ではないです。
そのローカルさがいい、という方にはホント最高でしょう。
また、さらにさらに、園山駅の反対の東側にはランタンフェス会場になった花博公園や市立美術館・台北故事館、それに民俗公園なんかもあって、相当に文化豊かな場所なんですよね。
台北駅・台北101・中山という大都会トライアングルからホンの僅かな時間で、ウソのような落ち着いた空間があることを覚えておいてください。
台北孔子廟を中心に、マッタリと充実した一日を過ごしませんか!?
台南紹介の記事では台湾を代表する台南孔子廟について詳しく解説しています。もしよろしければ合わせて読んでみてください。孔子廟と言っても台北のそれとはかなり違います
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