「信じるものは救われる」は本当なのか? 宗教・心理・現実からの徹底検証

藤原
この記事を読むとわかること。

  1. 「信じるものは救われる」は宗教だけの話ではないという真実
  2. 信じても救われないケースと、その理由
  3. 今日から使える「信じる力」の正しい使い方
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目 次

結論:信じるものは救われるは「条件付きの真実」

冒頭の問いかけ

  • 「信じるものは救われる」

この言葉は、病床で励ましの言葉として囁かれることもあれば、演説や広告コピーに使われることもあります。けれど、あなたはこの言葉を聞いて、どこまで信じられるでしょうか。

成功と失敗の分かれ道

私はこれまで、多くの人が何かを信じ、その先にある結果に期待する姿を見てきました。

信じて行動し、夢や希望を実現した人もいれば、闇雲に信じるばかりで人生や財産を台無しにした人もいます。

この差を生むものは何でしょうか?

結論から言えば・・・「信じる対象」と「信じた後の行動」の違いです。

信じる力は条件付き

信じることには確かに力がありますし、それは心理学でも、脳科学でも証明されています。

しかし、それはあくまで条件付きの力です。

信じる対象を間違えたり、信じるだけで何も行動しなかったりすれば、その力は救いではなく破滅の方向に働くこともあるのです。

信じてはいけない対象の例

  1. 根拠のない高額な儲け話(詐欺やねずみ講)
  2. 科学的根拠のない健康法や霊感商法
  3. 情報源が不明確で都合の良い話ばかりする人物や組織

行動しないことで失敗した例

  1. 健康になりたいと言いながら生活習慣を変えない
  2. 夢を語るだけで必要な学びや準備を先延ばしにする
  3. 人間関係を改善したいと言いながら歩み寄りを一切しない

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この記事では、宗教的背景から科学的知見、そして実際の事例までを通して、この言葉の本当の意味と使い方を探っていきます。

最後まで読み終えたとき、あなたはきっとこう考えるはずです・・「何をどう信じるか、信じてどう行動するかは、私の生き様そのものだ」と。

 

起源と本来の意味:キリスト教における「信じるものは救われる」

日常に響くこの言葉

  1. 例えば・・将来に希望を見いだせず、未来を思うだけで胸が締め付けられる若者がいます。
  2. 例えば・・最期が近いことを悟りながらも、孤独や未解決の悩みを抱えている高齢者もいます。

立場も状況も異なりますが、どちらも未来への不安に揺れ、支えを求めて手を伸ばしています。

人は極限の不安や孤独に直面すると、昔から心の奥に刻まれてきた言葉や祈りを思い出すものです。

その中でも、長く語り継がれてきた一句・・「信じるものは救われる」が静かに胸に響きます。

聖書における「信じる」の意味

この言葉の源流は、キリスト教聖書の世界観にあります。

新約聖書での「信じる」とは、単に正しいと認める知的同意ではなく、身を預けるという意味合いを含みます。

椅子を信じるなら、その上に座って自分の体重を預ける。それが聖書の「信じる」に近い実感です。行為を伴い、生活の向きを変える力でもあります。

聖書が語る「救い」の三つの核心

  1. 神との関係の回復(和解):聖書は、人間が神から見捨てられるとは語っていません。しかし、人は人生の苦難や罪の意識の中で、「神は私を見捨てたのではないか」と感じることがあります。
    「救い」とは、途切れた関係を修復するのではなく、もともと変わらず続いている神の愛と関係を再確認し、その確信を深めることです。
    これにより、たとえ絶望や孤独の中でも、「私は神の手の中にある」という確信を持って生きられるようになります。
  2. 過去の過ちや心の傷からの解放:聖書が語る「解放」は、「もう二度と罪を犯さない完璧な人間になる」という意味ではありません。
    むしろ、罪の意識や過去の過ち、他者から受けた心の傷が自分を縛る状態から解き放たれ、新しい歩みを始める自由を与えられることです。
    これは、赦しを受けることで「罪に囚われた自分」という自己認識から解放されることでもあります。
  3. 永遠の命という希望:聖書の救いの中心には、「死で終わりではない」という確信があります。
    神との関係は肉体の死をも超えて続くとされ、その希望が現在の生き方にも力を与えます。
    この希望は、恐れや不安に支配される人生ではなく、目的と意味を持って生きる勇気を支える柱となります。

この三つが重なる地点が、聖書の言う「救い」の中心です。

「盲信」ではなく行動を伴う信仰

ここで大切なのは、聖書を「信じる」ことが、盲信の美化ではないという点です。

「信じたなら、何もしなくてよい」という免罪符ではなく、むしろ信じたからこそ歩み方が変わる。

つまり、旧来のしがらみ(恐れ・恨み・依存)から少しずつ離れ、他者と自分のいのちを生かす方向へと選び直していく・・その歩みのプロセスこそが、信仰の本質なのです。

「信仰」と「行い」を対立させない・・信じるとは、「生き方の方向を委ねて選ぶ”」ことだと聖書は教えます。

よくある誤解とその修正

現世利益の万能鍵としての誤読

 「信じれば病も借金も魔法のように消える」という期待に対し、 聖書の救いは、苦難の即時解消ではなく、意味と支えという折れない芯を与えることに重心があります。

自己中心の強化としての誤用

「自分の願望を正当化するための信仰」という理解は本質を外しています。聖書が語る信仰の本質は、願望を膨らませることではなく、自己の回心(方向転換)です。

責任回避の道具としての信仰

「神を信じるから努力しなくていい」という理解に対し、むしろ信仰は努力を意味ある方向に整え、勇気ある責任へと導きます。

核心の一文

「信じるものは救われる」は、誰でも何でも好きに信じれば報われるという合言葉ではありません。

誰に身を預け、何に自分を委ねるかを選びなおす、存在の方向転換です。

だからこそ、キリストの教えを自分の都合でねじ曲げれば、救いは容易に依存や搾取へとすり替わります。

しかし、真っ直ぐにその教えに従って信じるなら、たとえ問題が一夜で消えなくても、立ち上がるための軸が宿ります。

これは宗教的スローガンを越え、私たちの日々の選択に関わる現実の話です。

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さて、ここまでの内容は、あくまでキリスト教的な視点を一例として紹介したものであり、本記事の本旨は特定の宗教を推奨することではありません。

次章では宗教を離れ、心理学・脳科学が示す「信念の力」を見ていきます。

なぜ信じるだけで痛みが和らいだり、成果が出やすくなったりするのか。そして、その力が救いにも破局にも転ぶ分岐点はどこにあるのか・・科学の光で照らし出します。

 

宗教を超えた「信じる」の力―心理学・脳科学の視点

「もう大丈夫だ」と信じた瞬間、肩の力がふっと抜けて痛みが和らぐ・・そんな体験はありませんか。あるいは「いける」と信じて臨んだ試合で、普段以上の集中が生まれたことは。

これは偶然ではありません。人は信じることで、脳と行動のスイッチを切り替える生き物です。

プラシーボ効果:信じるだけで体が変わる

医療の世界では、偽薬(効能のない薬)を投与された患者でも症状が改善する現象が知られています。これがプラシーボ効果です。

たとえば、頭痛に悩む人に砂糖の錠剤を「最新の鎮痛薬です」と渡すと、実際に痛みが軽減することがあります。

これは単なる気のせいではありません。「治る」と信じる期待が脳に働きかけ、内因性オピオイド(エンドルフィン)やドーパミンなどの分泌を促し、痛みの知覚や情動の回路を実際に弱めるのです。

信じる心は脳神経に直接作用し、測定可能な変化を引き起こす・・科学的に検証されてきた「信じる力」の一形態です。

自己成就予言:信じた通りの未来を引き寄せる

心理学には自己成就予言(self-fulfilling prophecy)という概念があります。

「合格できる」と信じる学生は、無意識のうちに勉強時間を延ばし、準備の質を上げ、当日の振る舞いも落ち着きます。その積み重ねが合格という結果を引き寄せます。

逆に「どうせ失敗する」と思い込めば、努力は細り、挑戦の意欲も減り、失敗の確率を自分の手で高めてしまう。

信念は心の中だけで完結せず、実際の選択と行動の方向を静かに変えていくのです。

集中と選択:信念がレンズになる

脳は世界のすべてを等しく扱えません。私たちは信じているものを優先的に拾い、そうでないものを無意識に捨てる傾向があります。

「このビジネスは必ず成長する」と信じる起業家は、兆しや機会に敏感になり、時間と労力をそこに配分します。

信念というレンズは、「見たいもの」を際立たせる一方で、「見たくないもの」や「関心のないこと」を見落としてしまう傾向があります。

信じる力の光と影

光があれば影もあります。プラシーボの逆であるノセボ効果では、「副作用が出る」と信じるだけで本当に体調が悪化することがあります。

また、根拠の薄い優越感や無謀な計画への過信は、自己成就の力を誤った方向へ発動させ、損失を拡大させます。

だからこそ、「信じれば何でもうまくいく」ではなく、何を信じ、信じた後にどう行動するかを見誤らないことが決定的に重要です。

力を正しく扱うために

科学が示すのはシンプルな事実です。信じることは精神論ではなく、脳・身体・行動に深く結びついた現実の力であり、その力は、扱い方次第で救いにも破局にもなり得るということですね。

次章では、この「影」の側面・・信じても救われなかったケース、信じる対象を誤ったときの危険を具体例で掘り下げ、避けるべき落とし穴を明らかにしていきます。

 

信じても救われなかったケース

信じることには確かに力があります。しかし、その力は常に良い方向に働くわけではありません。

ここでは、「信じるものは救われる」の裏側・・信じることでかえって傷ついた事例と、その背景にある心理の罠を見ていきます。

救いを求めて詐欺の餌食に

人生のどん底で、彼は「この投資さえすれば報われる」という甘い誘いに出会いました。相手は人当たりがよく、語り口は情熱的で、疲れ切った心にだけ効く薬のように聞こえたのです。

「信じれば救われる」という自分の合言葉が、最後の一押しをしてしまいました。

結果、彼は全財産を失い、家族との信頼も崩れた。契約書よりも強かったのは、自分に都合の良い救いを信じた心です。

これは、対象の真偽を確かめずに感情で選んだ信念は、盾ではなく鎖になってしまうという例です。

間違った健康法で体を壊す

健康を取り戻したい一心で、ある女性は「○○を飲めば病気が治る」という民間療法を信じ切りました。

医師の助言を無視し、数か月後には病状が悪化したのです。

「信じれば治る」という思いは、彼女の免疫力を高めるどころか、治療の機会を奪ってしまいました。

希望は行動を照らす灯りだけれど、根拠を失えば視界を奪う。だから事実確認を先に置く必要があるのです。根拠レスはダメです。

「信じれば叶う」はただの幻想

ある若者は「信じれば夢は叶う」という言葉に励まされ、俳優を目指しましたが、しかし努力や準備を怠り、オーディションに落ち続けます。

やがて夢は「信じていただけの空想」に変わり、彼は、失敗の理由を環境や運のせいにしました。

信じることは出発点であって到着点ではありません。歩かなければ、どんな信念も現実を動かさないのです。

自分に都合の良い信念の崩壊

「自分は絶対に正しい」という確信も、一種の信念ですが、しかしそれが自己中心的な視点から生まれていれば、周囲との関係は必ず歪みます。

ある経営者は、自分の方針こそ正義だと信じ続け、社員の声を無視しました。その結果、会社は優秀な人材を次々と失い、事業も衰退しました。

自己正当化は信念ではありません。信念は、耳の痛い情報にも真摯であり、且つ、更新され続けるべきなのです。

なぜ「救われない」のか?:共通する三つの要因

信じても救われなかったケースには、以下の共通点があります。

  1. 対象を検証しないまま信じる(情報の裏付け不足)
  2. 行動を伴わせない(信じることを免罪符にする)
  3. 視野が狭く自己都合的(他者や事実を無視)

信じる力は、使い方を誤れば自分を守るどころか破滅に導きます。この現実を直視することが、「本当に救われるための第一歩」です。

次章では、この落とし穴を避け、信じる力を現実に活かすための具体的な実践法をお伝えします。

 

現実社会における「信じる」の実践法

「信じるものは救われる」は条件を満たさなければ成り立ちません、前述のとおりです。では、どのように信じれば、自分や大切な人を本当に救えるのか。

ここでは、信じる力を現実に活かすための具体的な方法を解説します。

対象を選ぶ前に「事実」を検証する

信じる前に、まずは対象の真偽を確かめる必要があります。

  1. 出所の分からない情報は、必ず複数の信頼できるソースで裏を取る
  2. 感情を揺さぶるだけの言葉には、冷静な質問を投げかける
  3. 「他の人も信じている」という理由は、信じる根拠にならない

信じることは、感情による判断(好き・嫌い、好感・不信など)であると同時に、情報による判断(事実かどうか、信頼できるかどうか)でもあります。

信じるなら「行動」とセットにする

信念は行動によって初めて形になります。

  1. 健康を信じるなら、生活習慣を改善する
  2. 成功を信じるなら、学びや準備を続ける
  3. 人を信じるなら、それに足る根拠を得てめてからにする

「信じているから行動する」のではなく、行動によって信じる力を現実化するのです。

自分の信念に「反証テスト」をかける

本当に正しい信念なら、批判や反対意見にも耐えられます。

  1. 自分の信念を否定する立場の人の話をあえて聞く
  2. 信じる対象の弱点や欠点を意識的に探す
  3. 一度距離を置き、第三者としてその信念を眺めてみる

これにより、盲信ではなく強靭な信念が育ちます。

長期的な視点を持つ

短期的な結果だけを求めると、信じる対象を間違えるリスクが高まります。

  1. 5年後、10年後にその信念がどう影響しているかを想像する
  2. 一時的な利益よりも、持続的な価値を優先する
  3. 自分の信念が他者や社会にどんな影響を与えるかを考える

長期的な視座は、信じる力を安定した推進力に変えます。

信じることで得られる心理的安定を活かす

信じることは、脳や心に安心感を与え、行動力を高めます。

  1. 不安なときこそ、自分が選んだ信念に立ち返る
  2. 信じる対象を持つことで、迷いや恐れを和らげる
  3. 心の軸が整うと、外部の変化にも柔軟に対応できる

信じる力は、外部の状況がどうであれ、心を保つ支柱になり得ます。

信じるとは、ただ希望を抱くことではありません。それは、選択し、検証し、行動し、育て続ける生き方です。

 

特に自我や私利私欲が強い人への注意点

信じる力は、人生を前に進める推進力にもなれば、他者や自分を傷つける凶器にもなります。この差を分ける一つの要因が、信じる人の心の姿勢です。

特に、自我が強く私利私欲を優先する人は、信じる力を自分のためだけの武器に変えてしまう危険があります。

利益優先の信念は脆い

  1. この信念は儲かるから信じる
  2. 自分に有利だから信じる

という選び方は、一見合理的に見えます。しかし、こうした信念は状況が変わればあっさり崩れます。

利益が得られなくなった瞬間に、その信念は捨てられ、代わりにまた別の都合の良い信念に心が動きます。

これは信じる力などではなく、単なる損得勘定の延長です。

自己正当化としての信念

ある経営者は「自分の会社の方針こそ絶対に正しい」と信じ続けました。社員の声は「反対意見」として退けられ、現場の問題は放置されました。

その結果、優秀な人材は離れ、事業は縮小。

彼に残ったのは「正しかったはずの信念」という殻だけでした。

自己正当化型の信念は他者の意見を拒む防御壁となり、結果的に自分を孤立させます。

「救い」が自分だけに向く危険

本来、信じるものがもたらす救いは、自分の内面を支えると同時に、周囲との関係を豊かにします。

しかし、自我が強い人は「自分さえ救われればいい」という方向に傾きがちで、そうなると、信じる力は他者を無視し、時には踏み台にする行動へと変質します。

自分中心の信念から抜け出すために

自分の信念を大切にすることは悪いことではありませんが、その信念が「自分の利益」や「自己満足」だけを基準に築かれていると、周囲との関係を狭め、信頼を失う危険があります。

そこで、自我や私利私欲の殻から抜け出すための具体的な視点を持つことがとても大切なのです。

  1. 自問する:「この信念は、自分以外の誰かを救うだろうか?」
  2. 利益以外の価値を意識する:人間関係の質や誠実さ、長期的な信頼
  3. 他者からのフィードバックを受け入れる:耳の痛い意見ほど信念を強くする材料になる

この3つのステップを意識することで、信念は「自分のためだけ」から「自分と他者をともに支える力」へと変わっていきます。

真の救いは自己変容を伴う

「信じるものは救われる」という言葉の核心は、単なる信じる行為ではなく、その信じた結果として自分自身の内面が変わることにあります。

自己変容とは、例えば以下のような変化です。

  1. 自分の価値観が広がり、偏った見方や固定観念がほぐれていく
  2. 他者へのまなざしが深まり、相手の立場や感情をより理解しようとする姿勢が生まれる
  3. 自分の行動や判断が、より長期的で、より良い方向にシフトしていく

この変化は、一夜にして起きるものではありません。

信じた対象との関わりや、自分を見つめ直す時間、そして小さな行動の積み重ねによって徐々に形になります。

もし信じることで何も変わらないのであれば、それは「信じた」というよりも「依存した」に近い状態ではないでしょうか。

本当の救いは、あなた自身が成長し、信念があなたの人生に確かな足跡を残すときに訪れます。

 

信じるものが救われるには条件がある

これまで見てきたように、「信じるものは救われる」は誰にでも無条件に当てはまる魔法の言葉ではありません。

それは、正しく心に置けば人生を変える力となり、誤って心に置けば自分や他者を傷つける刃にもなる、そういう二面性を持った言葉です。

信じる力を救いに変える条件

信じる力が救いに結びつくには、最低限次の3つが必要です。

  1. 対象の適切な選択:根拠や信頼性を確認し、自分だけでなく他者や社会にも良い影響を与える対象を選ぶ。
  2. 行動とのセット:信じるだけでなく、その信念を形にする行動を伴わせる。
  3. 自己変容の受け入れ:信念によって価値観や行動が変化し、成長していくことを恐れない。

これらが揃ったとき、信じる力は持続的で現実的な救いをもたらします。

条件を欠いたときの危険

逆に、これらの条件が欠けると、信じる力は自分を縛る鎖や破滅への加速装置になり得ます。

  1. 対象の選定ミス → 詐欺・カルト・誤情報に振り回される
  2. 行動不足 → 信念が机上の空論で終わる
  3. 自己変容の拒否 → 信念が自己正当化や孤立の原因となる

信じる力を育てるための心構え

「信じるものは救われる」を、自分と周囲をより良い方向へ導く力として育てていくには、日々の心構えが欠かせません。

以下のポイントは、信念を強く、しかも柔軟に保つための実践的なヒントです。

常に問いかける:この信念は、自分と他者の両方を生かすか?

盲目的に信じるのではなく、その信念が誰かを排除したり傷つけたりしていないか、自分自身に問い続けます。信念は「自己満足」ではなく「共に生きるための軸」であるべきです。

柔軟性を保つ:環境や事実が変われば、信念も調整する勇気を持つ

新しい事実や経験に触れたとき、それまでの信念を見直すことは弱さではありません。むしろそれは、現実と調和しながら成長するための強さです。

小さく試す:いきなり人生の全てを賭けず、小さな行動で信念を試し、育てる

大きな決断の前に、小さな行動で信念の方向性を確認することで、軌道修正も容易になります。こうした「試行と観察」を重ねることで、信じる力は着実に鍛えられます。

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こうした習慣があれば、「信じる」という行為は単なる感情的な賭けではなく、実証と経験に裏打ちされた強い行動力へと変わっていきます。

救いは「外から与えられる」だけではない

多くの人は、「救われる」と聞くと外部からの援助や奇跡を思い浮かべます。確かに、誰かの手助けや予期せぬ幸運が人生を好転させることはあります。しかし、それはあくまできっかけにすぎません。

本当に人を救うのは、内面から湧き上がる行動力と方向転換の力です。信じる対象は、その力を引き出すスイッチであり、最後に自分を救うのは、自分自身の選択と歩みです。

つまり、信じることは「待つ」ことではなく、「動く」ための準備です。外からの助けを受け入れつつ、内なる力を磨き続けることこそ、揺るがない救いへとつながります。

 

今日からできる「信じる力」の鍛え方

信じる力は、生まれつき備わっている資質ではなく、日々の選択と行動によって鍛えられるスキルです。

しかも、その鍛え方は特別な場所や高額な教材を必要としません。今この瞬間から、小さな行動で始められます。

小さな対象で試す

いきなり人生のすべてを賭ける信念を選ぶのではなく、日常の小さな対象から始めます。

  1. 例:「毎朝5分のストレッチで体が軽くなる」と信じて試す
  2. 例:「一日一つ感謝を言葉にすれば、人間関係が変わる」と信じて実践する

小さな成功体験は、信じる力を育てる安全な土台になります。

行動と結果を記録する

信じる力は、「やった→結果を見た」というサイクルで強くなります。

  1. ノートやアプリに、信じたこととその行動・結果を書く
  2. 結果が良くなくても、「なぜそうなったか」を振り返る
  3. 記録が増えるほど、信じる対象を選ぶ精度も上がる

信じる対象の「弱点」も理解する

盲目的に信じるのではなく、あえて弱点やリスクも把握しておくことが重要です。

  1. 信じる対象の欠点や限界を3つ挙げてみる
  2. 欠点を知った上で、それでも信じる価値があるかを判断する
  3. この習慣は、信じる力を柔軟で壊れにくい形に育てます。

周囲の反応をフィードバックに使う

信じることは個人的な営みですが、他者の反応は貴重な検証材料です。

  1. 信じる対象を話したときの周囲の反応を観察する
  2. 批判や質問を「信念を磨くための材料」として受け取る
  3. 同じ信念を持つ仲間だけでなく、異なる視点を持つ人とも会話する

「なぜ信じるのか」を定期的に問い直す

信じる理由が「昔からそうだから」や「みんなそうしているから」だけだと信念は揺らぎやすいものになります。

  1. 半年に一度は、信じる理由を文章にしてみる
  2. その理由が今の自分にとっても有効かどうかを再確認する
  3. 理由が薄れていれば、信念をアップデートする

信じる力は、小さな成功と検証の積み重ねによって磨かれます。その力を正しく育てれば、困難な状況にあっても自分を支える芯となり、周囲の人にも安心と信頼をもたらします。

 

Q&A

「信じるものは救われる」という言葉は、単なる慰めや魔法の呪文ではありません。それは、信じる対象を見極め、行動を伴い、自己の成長を受け入れるときに初めて、現実の力として働きます。

信じることは、外部からの救いを受け身で待つことではなく、自分から選び取り、歩みを変えることです。

正しい対象と方法を選び、日常の行動に結びつけることで、信じる力はあなたと周囲の人生を安定して支える土台となります。

最後に、復習としてQ&Aを置きます。

Q1:何を信じても救われますか?

A:残念ながら、何でも信じれば救われるわけではありません。信じる対象が間違っていれば、それは救いどころか破滅の引き金にもなります。例えば、根拠のない健康法や詐欺まがいの投資話を信じてしまえば、心身や生活に深刻なダメージを受けかねません。信じる前には、必ず事実や信頼性を検証し、長期的に見て自分と他者にプラスとなる対象かどうかを確かめる必要があります。

Q2:信じるだけではダメですか?

A:はい。信じるだけで現実が変わることはありません。信念は、行動に移されたときに初めて現実を動かす力になります。例えば、健康になりたいと信じても、食生活や運動習慣を変えなければ体は変わりません。また、行動を通して得られる経験や失敗こそが、信念をより強固で現実的なものに育てます。

Q3:信じる対象を選ぶ基準は何ですか?

A:基準は「その信念が長期的に自分と他者を生かすかどうか」です。一時的な利益や快感に偏った対象は、持続性がなく、後悔につながる可能性が高いものです。信頼できる情報源の裏付けがあるか、周囲の冷静な意見も参考になるかを確認し、短期的なメリットと長期的な価値の両面から判断することが重要です。

Q4:信じる力はどう鍛えればいいですか?

A:信じる力は、日常の小さな習慣や挑戦を通して育てられます。まずは小さく試し、行動と結果を記録しましょう。成功だけでなく失敗も振り返ることで、信じる対象を選ぶ目が養われます。さらに、信じる対象の弱点も理解し、批判や異なる意見にも耳を傾けることで、盲信ではない柔軟な信念を形成できます。

Q5:一度信じたものを手放すのは裏切りですか?

A:いいえ、それは裏切りではなく、むしろ成長の証です。状況や事実が変われば、信じる対象も変わるのが自然です。かつては有効だった信念も、今の自分には合わなくなることがあります。それを見極めて手放すことは、自己保全だけでなく、より良い未来を選び取るための健全な行動です。

Q6:絶対にやってはいけないことはありますか?

A:あります。例えば、詐欺や悪質商法に引き込まれることはもちろん、インチキ宗教やカルト団体への盲信、科学的根拠のない健康法や占いに全財産や時間を費やすといった行為も危険です。
共通するのは、「批判的に考える力を手放し、他者の言葉を無条件に受け入れてしまう」こと。こうなると判断力が奪われ、金銭的・精神的な損失にとどまらず、家族や友人との関係まで破壊される場合があります。

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