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行天宮
日本でも人気のある台北の廟で、間違いなく三本の指に入るのが「行天宮台北本宮」です。台北MRT中和新蘆線の行天宮駅から歩いて5分という至便の地にあります。
ネット上によく出てくる関連単語は「パワースポット」「商売の神様」「収驚」「占い」など。
そして実際に行って、よくわからないけど手を合わせ、おみくじを引いたら漢字ばかりで実感がわかず、占いをしてもらったら既婚で子持ちなのに「婚期が遅い」と言われ・・・
何しに行ってるのか大して記憶に残らないのでは、時間の無駄であって残念でつまらないですよね。なんでこんなことになるのでしょうね?
行天宮自体の説明には「パワースポット」や「商売の神様」という意味の単語や解説は一切出てこないか、全く重きをなしていません。
それに、口当たりの良い観光フレーズとは裏腹に、行ってみると熱心な信者が圧倒的に多く、ちょっと想像とは雰囲気が違う。
以上、今まで日本の知り合いから多く聞いた意見なのですが、意味はよくわかります。さてさてどうしたものか。
少し事前の知識をつけて、少し要領らしきものを押さえておくと、それでも行くのであれば、多分、ずいぶん印象も変わり訪問後も記憶に残るような気がします。
そこで今回は「行天宮」について突っ込んだ記事を作成していきます。
沿革
行天宮は1949年に黄欉(玄空師父)によって建立されました。1945年に敗戦国として台湾から日本が去った時期と重ねて考えれば、非常に新しい廟であることがわかります。
黄欉は1911年に新北市に生まれ、炭鉱経営で財をなした実業家です。
非常に信仰心の厚い人物で、熱心に建立と布教に努め、我々が知っている台北本宮のほかに北投分宮と三峡分宮の合わせて三宮を建立しました。
本宮の主神は関聖帝君(関羽)で、右側に呂洞賓恩主と王善恩主が、左側には張単恩主と岳飛恩主が祀られ「五聖恩主」または「恩主公」と呼ばれています。
さらに「王善恩主」の右側には「関聖太子平(関羽の息子)」が、岳飛恩主の左側には「周倉(関羽の部下)」が祀られています。
で黄欉は何を信仰していたのか?ですが、台湾道教とか台湾齊教と呼ばれていて、儒教に仏教思想と道教思想が加味されたものらしいです。
これはかなり独自性が強くてなかなかイメージ出来ないというか、日本人には理解が極めて難しいです。下にも言及していますが。
行天宮の最大の特徴は本当に(というのもおかしいですが)拝拝(お参り・お祈り)にくる人が圧倒的に多いんですね。今では参拝者数が台北一であると言われています。
関帝廟
上述の通り行天宮の主神は三国志に登場する名将中の名将関羽で、没後神となり今では「関聖帝君」と呼ばれています。
関聖帝君をお祀りする廟を「関帝廟」と言いますが、信仰の対象としては極めて人気が高く、中国や台湾にはそれこそ無数の関帝廟があります。
無数にあるにもかかわらずどこの関帝廟でも参拝者がきわめて多く、ちょっと日本人の想像を超えている感すらあります。
そしてまた、世界中、華僑のいるところに関帝廟ありです。
もちろん日本にもあり横浜や神戸が有名ですが、実は私の住む大阪にも250年以上の歴史を持つ「清寿院」という由緒正しき関帝廟があるのです。
それにしても、中華圏においてこれだけ絶大なる尊崇を受ける「関聖帝君」が日本ではほとんど信仰の対象になっていないのは不思議です。
三国志が小説や漫画やゲームになって非常に幅広い層に支持されていることを考え合わせれば、一層疑問は広がります。
関聖帝君は中国の宗教体系に存在する神で日本のそれとは直接関係がない、とかっていう議論はいまいち説得力に欠けます。そもそも宗教のほとんどを含んだ多様な文化そのものが西から伝わってきているのですから。
関羽の生き様と魅力
時代背景
で、神となった関羽はもともと三国志に登場する一武将です。三国志は後漢から三国時代に亘る乱世の物語なのはよくご存知の通りです。
昔「いん・しゅう・しん・りょうかん・さんごく・りょうしん・なんぼく・・・」って中国の歴代王朝名を丸暗記した記憶があります。
改めて諳んじて頭に浮かべると、三国志って感覚的にも相当に大昔の物語なんだって、妙に納得します。
さて関羽。今の山西省に生まれて、張飛とともに死ぬまで劉備に仕えました。
劉備は、民衆が起こした黄巾の乱の鎮圧に参加して頭角を現し、やがては三国時代の一国である蜀を興すに至ります。
関羽はその強い忠誠心と熱い義の心で劉備を助けていきますが、その生き様が、あるいは張飛との対比で美談になっています。
千里行
その関羽の特徴を示す特に有名な話が「関羽の千里行」という件ですよね。
経緯があって一時曹操のもとに降った関羽が、劉備の生きているを知るや曹操の勇将を物ともせず、妻子を助け出して劉備の元へ送り届けます。
そして何よりも義を重んじる関羽は、曹操から与えられた金品をそのままにし、再び劉備の元へと帰っていきます。
関羽の魅力を熟知していた曹操でしたが、義理が固いとし、あえて引き止めようとはしなかったということです。
さて、もし劉備が死んでいたらずっと曹操のもとにいたか?という疑問ですが、ちょっと難しかったように思います。なぜなら後漢復興が関羽の大義でしたから、そういう意味では曹操は逆賊です。
それに、関羽が簡単に寝返るような人物であれば、そもそも物語にはならなかったし関聖帝君として関帝廟に祀られる事もなかったでしょう。
文武両道と人間関係
実は、関羽は劉備の配下となる前は儒学の先生でして、いわば文武両道なところも大きな魅力として捉えられており、無骨で「文」のない張飛とよく比較される部分です。
また、張飛は
- 同僚には意を酌む配慮があるも
- 部下目下には極めて冷たく
一方、関羽は
- 同僚には対抗心が強く一線を引いていたが
- 部下目下には非常に優しかった
という点でもよく比較されます。
かくして物語はできてゆく
しかし何れにしてもですね・・
大昔の史実を多くの人が物語にしているわけです。書かれた時代の背景や流行や求めもあるでしょうし。
白髪三千丈の勢いで相当に脚色されており、それぞれの物語は実際の史実とはかけ離れている部分が多くあるということです。
あるいは、史実のある部分が10倍になって、またある部分は1/10になって表現されているということです。
ただ、多くの人は真実と創作の違いなんて気にしていないし、自分達にとって都合のいいこと、望ましいと思うことが心に残っていくのは、いつの時代もどこの国でも同じようなものです。
「強い忠誠心を持って義理固く配下をよく労わり、文武両道に長けて、金には執着心がなく」
そりゃ人気も出るでしょう。そこの部分を強調して欠点は全く書かなかったとしても(若しくは長所をより色濃くするために少し欠点も描く)人は気にしないのです。むしろその方がより喜ばれるのでしょう。
かくして朧げな偶像は次第に人々の期待どおりに輪郭が鮮明な現実の人へとくっきりはっきり姿を現していきました。
また、当然と言えば当然ですが、史実と微妙に裏表になって、いかにもそれらしい実感を持たせるあたりがより惹きつけられる要因になっているのでしょうか。
関羽が神格化されてゆく過程
関羽は「関聖帝君」として関帝廟に祀られ、中華圏における信仰の対象としてはズバ抜けた人気を誇っているのですが、それにしても一武人がどうして神になったのでしょうか?
因みに、三国志登場人物では関羽が唯一神になっているのではありません。実は、劉備や曹操や諸葛孔明も、さらには張飛も祀られています。
それにしても神になる人、多すぎじゃない? とも思ったのですが、よく考えてみると日本でも同じようなものですか?! 聖徳太子・菅原道眞・平将門・織田信長・豊臣秀吉その他大勢が神になってました^^
ただ、関羽の場合は慕われ度合いというか、信心している人の数がまるで違うんですよね。
京都の大興寺という禅寺には足利時代のものとされるズバ抜けて古い関帝像が安置されているそうです。
中国で本格的な信仰対象として認識されたのが清王朝から、ということを考えれば1,300年代はとんでもなく古く、中国国内ですら当時の関羽の地位はどうだったのか?という疑問が出てきます。
しかも大興寺は禅寺で、禅寺は仏教です。えっ、関羽は仏教の神ですか?
行天宮の案内書を読むと、関聖帝君は儒教・仏教・道教の三教で崇められる全知全能の大神とあります。
宗教が唯一無二という排他性をもって「継続的存在」を可能にするのであれば、儒教の神が仏教の神であり道教の神でもある、というのはいかにも矛盾であり不都合です。
事実、史実上この3つの宗教は争っています。なかなか難しく、ここではこれ以上言及しません。ただ歴史的に見ても、宗教も絶対的な形は持ってなくて社会に応じて変容することはヒントになるかもしれません。
もし興味があれば、ここに記されているコンパクトな説明は理解の一助になるかもしれません。
→http://d.hatena.ne.jp/fusen55/20100527/1274968371
そんなわけで関羽は3つの宗教の神ですが、同時にそうなったわけではありません。
道教において未だ神格化されていなかった隋王朝時代に、まず仏教の伽藍神として封じられています(仏祖統紀)。
道教の神とされたのは宋時代以降で、しかも一気に地位が上がって定着したのではなく徐々にです。後漢の時代から考えると随分と後になってからなんですね。
そして信仰対象として人気が出てくると、あるいは時代の支配者の事情でどんどん封号が与えられ、清時代にはついに中国の津々浦々にまで関帝廟が建立されることになります。
遂に大神としての地位が不動のものとなったわけです。
ところで、「〜神に封じる」とは「〜神に任命する」というような意味でしょうが、「封じる」という動詞の使い方が、現在の一般社会で用いられるそれとは相当に違うので、違和感が大きいですね。
五倫八徳
人々が関羽のどのようなところに惹かれ、それが多くの物語を生み、そして神格化されていったのかをご説明しました。
この関羽は生涯を通して「五倫八徳」を守り通したと言われております。
行天宮においては、全知全能の大神である関羽即ち関聖帝君に商売や学問のみならず無病息災・家内安全・試験合格・事業成功など様々をお願いできるが、最も大切なのは「五倫八徳」の教えを学ぶ事だとしています。
そこで、「五倫八徳」について少し申し述べていきます。
「五倫」とは
- 父子の親
- 君臣の義
- 夫婦の別
- 長幼の序
- 朋友の信
「八徳」とは
- 孝 親を尊ぶあり方
- 悌 兄弟の道
- 忠 己を尽すこと
- 信 全ての道の源
- 礼 敬う心
- 義 真に正当な行為
- 廉 私欲のない清心
- 恥 人の本性
意味するところは、八つの徳を通して五つの基本的な人間関係の調和を取り、安定的な社会を形成しなければならない、というものです。
関聖帝君を信仰する人にとって最も大切な事は、儒教伝統の教えである「五倫八徳」を学び理解して守り実践していくことだ、と行天宮は或いは開祖の玄空師父は説いているわけです。
「五倫八徳」は「独立した自己」に対する教えではなく相手を想定した対人関係の教え、ということでいいのでしょうか。
わかりやすいですよね(深〜い哲学は別にして)。大切だ、という意味も理解よくできます。しかし、「この通りに生きてるか?」と問われれば悶絶してしまう^^
様々なお願いができる「関聖帝君」おさらい
行天宮が五倫八徳の教えを学び実行することが最も重要であると説いていることはよく理解できましし、それを知っておくことも大事だとの認識で上に記しました。
一方、毎日お参りに来る人たちは、五倫八徳はそれとして、もっと直接的なお願い事をしているケースも多いと聞きます。私たち観光客もどちらかといえばそうでしょうし。
そこで、お願いできる内容を改めて確認しましょう。
1. 商売繁盛•金財運向上 いわゆる財神としての関羽ですが諸説があります。
- 上記「関羽の千里行」で劉備の元へ帰る際に曹操が差し出した金品をそのままにして帰ったところから、義理堅く信頼がおけ金に淡白なので安心してお願いできる、という説。
- 実は塩販売の闇商人という側面があって元々商才があるから、という説。
- 関羽といえば赤ら顔で有名です。そこに目をつけた酒屋が関羽の赤い顔の看板をかけたことがきっかけで一般的な商売の神とされるようになった、とする説。
- そろばんを発明したからだ、という説。
大概いい加減だとは思いますが、現実には商売の神として絶大なる人気があります。
2. 学業成就・入試合格 上記の通り武将となる前は儒教を教えていて文武両道、加えて知的側面で諸葛孔明に負けるとも劣らない逸話があったりするので、これは分かりやすい。
3. 家内安全 これはなんででしょう? 劉備の妻子を助けたからですか? 「こんな方に守られていたら我が家も安全」って。
4. 無病息災•病魔退散 この辺に至っては全く根拠がわかりません。ただ、国の守護神であったので、もうそこまで到達した神にはなんでもお願いできる、ということなのでしょうか?
とにかく中国では、
- 軍神であり
- 仏教寺の守護神であり
- 地獄の長官であり
- 死者をも蘇らせるし
- 災害は予知出来るわで
絶大なる力を持ってるんですよ。
結局、現世利益をお願いできる神としては史上最強なのか。それとも国や大衆の熱望が史上最強を作り上げたのか?
お参りの作法
行天宮や関羽について一通り述べましたので、いよいよお参りに行きましょう。
- 行天宮に入って最初にするのは手を洗うことです。行天宮は二重壁になっていて、外から入ってすぐ左側に手洗い所があるので、そこで手を洗います。目の前の大きな鏡には「洗心」と「問心」と書かれています。
- 「請勿踐踏」とあるところは踏まないでください。門をくぐる時に敷居部分はまたいでください。
- 行天宮の大きな特色の一つは「進香」という線香をあげる行為がないことです。大気汚染防止の観点から廃止になったそうです。寺の象徴とも言える線香の煙を「よくない」として廃止したのだから、これは画期的な英断だと思います。
- 「拝拝」の方法は写真の通りで「三跪九叩(さんききゅうこう)」と言います。下のyoutubeの説明は現地に看板になってあります。注意すべきは、膝乗せに頭を持ってきた時、男は手のひらを下に向け、女は上に向けます。写真や周りの参拝者の見よう見まねでもいいし、青い法衣を着たボランティアの方に教えてもらってもいいです。
- お参りをして回る神様の順番は写真の通りで、これも同じものが現地にあります。
他の記事でも推奨しているのが台湾人との接触です。この行天宮にはブルーの法衣を着ているボランティアがたくさんおられます。
日本語と身振り手振りで「三跪九叩」を教えて欲しいとお願いしましょう。日本語のできる人を連れてきてくれます。
やり方を教えてもらいながらコミュニケーションをとれば、その触れ合いが旅のいい思い出になるのです。
擲筊とおみくじ
さてさて、お参りも終わったし、次はおみくじを引きましょう。ところがすぐには引けません。必ず擲筊(プアプエィ)を二つ手に持ち、神の意向を確認する必要があります。
擲筊は道教系の廟には必ずあり、神の意向を問うための三日月型の道具です。平は面が表で丸く湾曲している面が裏です。
実は擲筊の発音をかたかなで書くことはできません。それは日本語の発音規則に無い音の組み合わせだからです。ここに記したのはあくまでも便宜的なものです。
中華圏の映画にもよく出てきます。私の記事に関係する映画では『KANO 1931海の向こうの甲子園』の中でおばあちゃんが、孫が野球をする是非について擲筊で神に尋ねていましたね。
中華圏では、とにかく事あるごとに擲筊で神の意向を問います。というわけで、おみくじを引いても良いかどうかを伺います。その際の手順は
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擲筊を両手に挟んで合掌します
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自分の氏名・住所・生年月日、願い事をひとつ言います。
「私はいつ生まれたどこの誰それで・・・」これは神と交信するときの常套文句で「〜な事を望んでいますが、おみくじを引いてもよろしいでしょうか?」 -
そして手の中の擲筊を上に向けて放り、ポトッと地面に落とします。結果は3通りですね。
- 表・裏 「聖筊」といい、これは神の承諾を表しています。
- 裏・裏 「笑筊」といい、これは神の理解不能を表します。
- 表・表 「陰筊」といい、これは神の否定を表しています。
したがって、「聖筊」が出ればおみくじが引けます。「笑筊」が出れば再度一から繰り返します。
よくわからないのが「陰筊」。神が「ダメ」と意思表示しているから「諦める」のか?といえばそうじゃないらしいです。だいたい、「聖筊」が出るまでやり直します。
それなら「笑筊」も「陰筊」も同じじゃないか、と思うのですが・・・。
それどころか「おみくじ」とは関係ないですが、「聖筊」が出ないと御供えを豪華にしたり、願いが叶った暁に実行する神との約束をハードルの高いことに変えたり・・・
なんとしてでも神の承諾を得なければ終わらない、みたいな感じです^^
上に出てきた映画「KANO」のおばあちゃんも、孫に野球をやって欲しくないのに「聖筊」が出たんですよね。「神の意思だからしょうがない」などと納得しないおばあちゃんはどうしたでしょう?
おみくじを引いて解説を受ける
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兎にも角にも「聖筊」を出しましょう。出ないと先に進めません。
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無事「聖筊」が出たら、細長く平べったい竹がたくさん入った筒から一本を引きます。
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竹棒を筒に戻し、この番号で本当に良いか再度擲筊で伺いを立てます。
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「聖筊」が出なければ、再度おみくじを引きなおします。
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再び一本を引いてこれで良いか擲筊で神に確認します。
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「聖筊」が出たら発籤詩処でその竹に書かれている番号の紙(籤詩)を一枚もらいます。
書かれている内容を説明してくれるボランティアがたくさんおられるので、日本語可能な方に解説をお願いします。質問もできますよ。
解説の後、必ずかどうかは確信がありませんが「平安」と書かれたお守りカードをくださいますので、これを持って再度神様にお礼をいうのだそうです。
説明を受けることを知らず、意味のわからない籤詩を持って行天宮を去る方が多いですが、本当にもったいないです。
収驚を受ける
行天宮に行くと正殿前の広場で、多くの人が列をなしている風景に出会うでしょう。そして、それぞれの列の前では青い法衣を身にまとったボランティアが何かをしています。
これはつまり人々が収驚(しょうじん)を受けている風景なのです。
収驚を受けることによって魂魄を取り戻し、毎日の元気で安定した生活を目指します。と言われても何のことかわかりませんよね。
- 魂は大和言葉では「みたま」と読み精神力を統制を司ります。
- 魄は大和言葉では「みかげ」と読み行動力を司ります。
人は驚いたり強いショックを受けると魂魄をが抜けて心身の動き・働きが悪くなります。そこで、収驚という行為を受けて魂魄を取り戻して心身を正常化するのです。
これはおそらく元は道教から来ていると思います。
収驚を受けるときには幾つかの注意事項があります。注意書きの立て看板にもありますが
- 並んでいるときに会話をしない
- 携帯電話を使わない
- 飲食をしない
- ガムを噛まない
順番が来たら中国語で氏名を伝えますが、我々には難しい(練習しても発音が伝わり難い)ので氏名を漢字で書いた紙を用意しておき、それを見せます。
体の右側から収驚をしてくださるので、持ち物は左手に持っておきます。
さて以上で、お参りをしておみくじを引いて収驚を受けました。ここまできちっとくれば、きっといい思い出になりますよ。
お参りの仕方やおみくじの解説や収驚など様々なサービスをしてくれる青い法衣のボランティアですが、日に3回、30分から40分の間、宣講と言ってお話し(法話のようなものでしょうか)があるので、その間はストップします。
行天宮の効労生と公共五大事業
今まで何度も「青い法衣を着たボランティア」という書き方をしてきましたが、この人たちのことを「効労生」と呼びます。
効労生は参拝者への奉仕を通じて「五倫八徳」を実践しているそうです。実はこの効労生こそが行天宮の大きな特徴のひとつです。
行天宮では開祖・玄空師父の意思を受け継いで五つの公益事業を展開しています。参拝者に対してのみならず、公共事業のそれぞれの場所に置いて多くの効労生が活躍しており、加えて趣旨に賛同する方々も一緒に働いています。
行天宮のこの際立って秩序立った組織性と大きな実行力は具体的な社会貢献として結実し、台湾社会に広く受け入れられています。
五大事業とは・・・
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教育 行天宮文教発展促進基金会を1995年に設立し、貧困学生への援助をはじめ、様々な催しを通して文化と教養の向上に貢献しています。
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文化 行天宮付設玄空図書館という図書館が敦化総館・北投分館・中山分館とあって30万冊に及ぶ蔵書を所有しています。
蔵書の貸し出しのみならず、定期的に講座やコンサートなどが開催されています。
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宗教 正しい信仰を広げ善導教化に注力しています。ここに紹介した「おみくじの解説」や「収驚」も、この宗教活動の一環です。
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慈善 社会奉仕は行天宮の重大な使命と位置付けられており、弱者支援や災害救援などを継続的に行っています。
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医療 恩主公病院が二か所にあり、質の高い医療行為を行っています。
日本人との比較において相当の違いを感じます。もちろん仏教信者がいればキリスト教信者もいるので一括りにはできませんが。
そういう発想ではなくもっと庶民的な感覚でいうと、台湾の人と神は近い、というか非常に身近です。
行天宮の台湾道教は儒教に仏教と道教の思想が混ざったものというような説明を冒頭でしました。日本でも神仏習合がありますが、台湾の場合もっとダイナミックなんですね。
あらゆる神を習合しており、神様の居場所を確保するために前館・正館・後館などといっぱい建てる必要があるわけです。
そこから垣間見得るものは徹底した現世利益です。
あらゆる神を習合してあらゆるお願いができる。恋愛も商売も学業も健康も。これ全部現世利益です。
擲筊も「神の意志をお尋ねする」とはいうものの「聖筊」が出るまでやるのであれば、それは自分の望みに神の衣を被せているだけです。
「苦しい時の神頼み」は日本の言葉ですが、台湾の場合ははっきりと常態化していると言えます。非常に自分に正直だ、とも言えると思います。
一方、死との接点はそれはそれで、実は独特の文化を形成しています。またいつかお話しします。
さて、台湾の人は神に近いけれど、多くの場合、日本人的感覚で言うところの宗教色には染まってないような気がします。
強く生きていくための手段、というのが私の感想です。
これほど多くの台湾人が行天宮をはじめとする廟でお参りをする理由ですね。それを20年近くの間に多くの台湾人から聞いた話を元に自分なりにまとめてみました。
占い横丁
最後に、特に日本人に有名な行天宮の占い横丁「行天宮地下道算命街」の話をします。
地下への降り口は一つではありませんが、お参りの帰りに行くなら行天宮西側の出入り口近く民権東路二段に面して降り口が一番便利です。
ちょうど民権東路二段と松江路の交差点下に作られていて、20余りの占い所があります。そういえば龍山寺近くにもありますね。
占いといえば道教と関係が深いので、そういうことなのでしょうか。
さて、この占い横丁。手法も盛りだくさんです。
- 四柱推命
- 占星術
- 風水
- 手相
- 小鳥
- お米
- 八卦
- 亀
などなど、なんでもありますね。そして、全店かどうかはともかく、日本語OKの看板も多いです。だから日本語だけで好きな占いを受ける事ができます。
しかしながら、この占いをはじめマッサージなどの台湾における純粋な人的サービスを、基本的にはあまりお勧めしません。
「なんだ、紹介じゃないの?」はい、違います。まあ続きを読んでください。
もちろんなんのトラブルもなく喜んでその場を去る日本人はたくさんいます。しかし反面、トラブルにあったり大きな不満を抱いたりする人もまた沢山いるのが現実です。
なぜか? いろいろお話を聞いていると、およそ次の3点に集約されると思います。
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意思疎通ができない 相手が片言の日本語を喋れても、そんなに意思疎通ができるもんじゃありません。日本人同士でもできないことはしばしばあるのに。
占いなんかは術もさることながら会話が重要です。冒頭で紹介したケースでは、占い師のちょっとした聞き間違いで、既婚者に「婚期が遅い」などと言っているわけです。
こうした聞き違いや理解されないことはいくらでもあります。会話してるつもりでも、相手が首を縦に振っていても、根本的にわかってないことはいくらでもあります。
そういう意味では、漢方薬の調合を頼むのも私は反対です。非常に危険です。
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文化が違う もう当たり前中の当たり前なんですが、台湾は外国で日本ではないのですよ。
日本文化や自分の日本内での経験を基に判断して、トラブったり怒ったりするケースが後を絶ちません。文化が違うんです。
歴史・文化が違えば基本的な考え方も異なる場合が多々あるので、それを踏まえなければなりません。
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意思表示をはっきりしない 日本独特の文化が遺恨を残す。これも関係する人にはクドイほど注意しています。「その場その場で言うべきこと、言いたいことははっきりと言うべし」と。
で、上記3つを理解してあるいは注意して行動すればほぼ問題はないし、楽しく旅行を終われるはずなのです。
しかし・・・なかなかそうならないのが現実です。だから、占いをはじめ人的サービスにお金を使うのはあまりオススメしたくないのですね。
もちろんそれぞれのサービスの良し悪しに言及しているのではありません。そこは誤解しないでくださいね。
かき氷を食べていて、トッピング材料が一つ少ないことに気づいて、店員(多分高校生アルバイト)に言ったらどうしたと思います?
かき氷にスプーンを入れて、まさにすくい取ろうとした瞬間にスッと持って行ったんですよ。テーブルにベチャッと落ちても平気。しばらくして何事もなかったように持ってきました。その間一言もなし。
この店員の態度ね、良いわけがない。下手したら台湾人の客でも怒る可能性があります。しかし一方、台湾を何度も訪問していると、そういった事がさして珍しい出来事でもないともわかります。
というか、日本人が知っているサービスの概念が薄いか全くないケースもいくらでもあります。
もう一つ、別の記事でも書いてますが、サービスの質は社員・店員個々人の資質によるところが大きく、ここの会社なら、ここのお店なら間違いない、という日本人的感覚は概ね通用しません。
言葉が通じない日本人客は余計に不快に感じる傾向が強いです。少し言葉が出来ると、不快が愉快になることも結構あるんです。サービスというより対人間として。
なので、問題はそれも含めて異国文化だとして楽しめるかどうかです。もし事が起きるたびにぶちまけないと気が済まない人は、お金を払ってストレスをために行くようなもんです。
最後に
行天宮については、ちょっと突っ込んだお話をしました。どうしても宗教的な事柄になるので引き気味の方もおられるかもしれません。
しかし、台湾文化や台湾人の心を、その一部を知る上ではそれなりの価値がある記事だったのではないでしょうか。
行天宮は有名で参拝者も非常に多いけれど、観光スポットとしてみれば、そんなに華やいだ場所ではないんですね。
だから、ほわっと行ってほわっと帰ってきても記憶に残らないと書きました。今回の記事の内容を事前に読んでから参拝すれば、それなりのものが心に残ると思うのです。
つまり、人のお話や自分の過去の経験から考えるに「郷に入れば郷に従う」ことで単なる訪問が意味ある訪問に変わるように思い、その方向で解説をしています。
他の記事でも明言していますが、私には宗教心がありません。そんな私ですが、基本的には「郷に入れば郷に従え」を励行しています。
「占い横丁」については否定的な内容ですみませんでした。意味するところを汲んでいただければ幸いです。おせっかいというか、とにかく、嫌な思いをせずに楽しく台湾を観光していただきたいと、もうそれだけです。
さて、行天宮から出てきたら松江自助火鍋に鍋を食べに行きましょう。メチャクチャ美味いですよ。
詳しくは→台湾でどうしても食べたい オススメのグルメとお店 ベスト10
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