凄く遠方にお住まいでなければ複数回に分けて来城するのも全然ありです。ではスタートしましょう。
なお、姬路城に関する他の記事もありますので、よろしければ参考にしてください。
目 次
大まかなルート
私を含めた大多数の方が歴史やお城建築に詳しくないし、それほど大きな興味もないでしょうから、それが前提です。浅く楽しく。
インスタ好きにはたまらないのが姬路城で、今回案内するルートでは姬路城を360°回るので、そういう意味ではあなただけのインスタスポットがたくさん見つかるはずです。
大まかなルートは、姬路城を反時計回りにぐるっと回って好古園に入り、再び姬路城の入城券売り場から有料エリアに入るという感じです。
逆に、好古園を起点として時計回りに歩けば、歩数は少なくて住みます。
観光ルートとポイント
私がおすすめする具体的な観光ルートを順番に書いていきますが、手書きの案内地図も↓一緒に見て確認してください。
- 大手前門から三の丸広場左側通路を歩いき大柱展示場を見る
- 天守の庭を見る
- 入城せずに右折して秀吉時代に積まれた上山里下段の石垣を観察
- 石垣付近にある酒井家の石灯籠と五輪塔
- 姫路神社参拝
- 姫山公園を散策
- 千姫の小路散歩
- 県道城南線を左折し約280mで好古園に到着するので入場する
- 再び大手門から入城券売り場に行ってチケットを購入する
- 西の丸庭園に入って百間廊下を歩く
- 大天守を観覧する
- 大天守前の三国堀跡・お菊井戸・るの門跡などを見る
- もし4月末から5月頃の開花している時期なら千姫ぼたん園でお花を観賞
以上で終了
ルートに沿った観光スポットの簡単解説
では次に、廻る順に各スポットの簡単な解説をしていきます。
1.旧西大柱
物凄く太くて長い真っ直ぐな木が横たわってます。
これは城を支えている二本の心柱のうちの西側のもので、昭和大修理の折に腐れが見つかり、350年に及ぶ役割を終えて今ここに展示されているのです。
姬路城は修理はしても「全くの作り変え」を行ってはいないので、今でも現役の東西二本の大柱を大天守の中で見ることができます。
2.天守の庭
ここにある礎石は元々姬路城を支える柱の下に置いていたものでした。
しかし、不等高な地盤沈下で天守が大きく傾き、もはや補修などでは対処できなくて、抜本的に土台を作り直す事となりました。
つまり、天守下を岩盤に到達するまで掘削して、総重量6千トンにも及ぶ天守を支えるために、新たに人工地盤を造ったのです。
その結果、元あった礎石は取り除かれ、今の場所に移されて元通りに配置されたのです。
3.上山里下段の石垣
姬路城の石垣は、池田輝政が大改修を行ったので羽柴秀吉時代に築かれた遺構が目に触れることはありませんが、それでも、幾つかの場所では僅かながら見ることができます。
この上山里下段の石垣もそうで、特徴としては、自然の石を斫ったりせずにそのまま積んでおり「野面積み」といいます。
また、この石垣は秀吉の命により黒田官兵衛が普請をした(と考えられている)ところから「官兵衛ゆかりの石垣」とも呼ばれています。
非常に特徴的な石積みなので、少ししっかりと見ておいて、後で訪れる西の丸の石垣と比べてみてください。
4.酒井家の石灯籠と五輪塔
「上山里下段の石垣」案内文の左奥にある石灯籠は、姫路城主であった酒井家の墓地(東京都谷中)から移したもので、その奥の仏石は改修工事の際に石垣の中から出てきたものを集めて供養したものです。
5.姫路神社
1749年以降最後まで酒井家が姫路藩の藩主であり、また姬路城の城主でした。
最後の城主、酒井忠邦は廃藩置県により東京移住を命じられ姫路の地を離れましたが、酒井家を慕う旧藩臣たちが発起して奉祀しました。明治12年のことです。神祭は酒井雅楽頭家5代当主酒井正親。
なお、姫路神社は当初本町にあったのですが手狭なために、1925年にこの地に移転されました。
6.姫山公園
上の手書き地図を見るとわかりますが、天守の北側はお堀が二重になってます。実は両方とも内濠で、その間に作られているのが姫山公園です。もう少し北側に歩くと中濠も見ることができますよ。
姫路神社がこの地に移転された頃に整備されたようです。
姫路神社のすぐ左横には池泉回遊式の日本庭園があって勿論きれいなのですが、それとともに、ここから見上げる大天守がなかなかのものです。是非写真に収めてください。
また、この公園は桜の名所なので、ジャストな季節に訪れられれば感慨もひとしおでしょう。
7.千姫の小径
姫山公園から外側の内濠を渡って千姫の小径に入ります。船場川と中濠の間にある道で、散歩道として綺麗に整備されています。
両サイドに流れる水の音、小径に沿って植えられているいろんな樹木、石垣の上には原生林が生い茂り、その向こうに櫓や天守が。
そんなに長くはないのですが、個人的にはめちゃくちゃお気に入りの道です。もし学生時代に戻ったとして、心がささくれた友人に相談を持ちかけられたら、ここを歩きながら話を聞くかな。
8.好古園
上の手書き地図を見てください。千姫の小径と県道城南線がクロスするところで左折します。そして直進すると次の目的地「好古園」。もし時間がなければ、姬路城見学をせずこちらに来てほしいくらい超おすすめスポットです。
約1万坪の広大な庭園は、本多忠政時代に造営された西御屋敷や武家屋敷があったところで1992年に完成しました。また、翌1993年には姬路城が世界文化遺産に登録されています。ひょっとしてそういうタイミングで完成させたのかな?
ところで、好古園の敷地は明治以降軍施設が置かれ、戦後は国鉄宿舎や税務署、保育所などが立てられていました。
一旦そういった方向性を持ったら、便利な場所だけに建て替えはあったとしても、まさか全部ぶっ壊してまるごと庭にするという発想になるのだろうか? 方向転換に対し大きな感銘を受けます。
さて、好古園は発掘調査によって判明した地割りを上手に生かして9つの趣の異なる庭園群を形作っています。また、敷地内には裏千家第十五代家元千宗室氏の手になる茶室「双樹庵」もありますよ。
そしてなんと言っても、西の丸の原生林、その向こうに見える天守群を借景とした庭園は例えようのない美しさです。
特に最初に入る「御屋敷の庭」が、羞花閉月ともいうべき超絶な美しさです。
好古園はまたドラマや映画のロケ地としても有名で、過去、るろうに剣心、幕末高校生、TAJOMARU、徳川家康と3人の女、敵は本能寺にあり、大奥、水戸黄門、暴れん坊将軍など、本当に沢山の実績があります。
というわけで好古園。是非是非一度はおいでください。
- 好古園:ホームページ
- 入園料:小人(小学生〜高校生)150円、大人310円(姬路城との共通入場券1050円がお得)
- 入園時間:9AM〜5PM
- 休園日:12/29、12/30
ここより下は有料エリアの説明となりますが、この↓マップも合わせ見ると、より理解が深まります。尚マップ上の番号は私の降った番号とは関係がありません
10.西の丸と千間廊下
好古園を出て城南線を内濠に沿って歩くとすぐに大手門に到着するので、再びくぐってチケット売り場に行き購入します(好古園で共通券を購入していた場合は当然不要)。
菱の門をくぐってすぐ左側にある石段を登ると目の前に現れるのが西の丸です。時の城主・本多忠政が嫡男・忠刻の御殿を建てるために築いた曲輪です。
御殿の建物は、1700年あたりに描かれたと見られる絵図には既になかったので、忠刻や千姫がいなくなった後の数十年の間に取り壊されたのでしょう。
さて、西の丸を囲うように西から北へと、石垣の上に櫓と渡櫓が建てられてますが、これが通称「百間廊下」と呼ばれている長屋群です。長い廊下は結構折れ曲がって階段なんかもあります。
ワの櫓から入ることができて、全部歩いて、最後に化粧櫓から出ます。途中に資料や説明文がたくさんあります。
百間廊下の最後の部分は「化粧櫓」の名称がついており、千姫にまつわるお話が綴られているのでこれだけは読んだほうがいいかもしれません。
冬は注意
一つ気をつけたいのは冬。木の廊下は冷たくて足にきます。本当に冷たくて300mも歩くので何らかの対策は必須です。
波乱万丈の千姫
本多忠刻と結婚して姬路城に住んだ千姫ですが、彼女は徳川二代将軍秀忠の娘で、元は豊臣秀頼と結婚して大坂城に住んでいました。
ところがおじいちゃんである徳川家康が大坂夏の陣で攻めて落城し、千姫は命からがら救出されて江戸へと旅立ったのです。
実は家康が坂崎直盛に救出を命じ、成功の暁には結婚しても良いと口約束をするんですね。千姫は美人でもあったし、そら坂崎もがんばりますわ。ところが見事に約束を反故にされた坂崎は、逆上してとんでもないことをすることとなります。
脱出した当の千姫は江戸へ帰る途中の伊勢桑名で本多忠刻に出会い、なんと正室となり、忠刻が姫路転封となったのに伴い姬路城に来たというわけです。
忠刻とは子供にも恵まれ、姬路城時代が一番幸せであったそうです。
しかし好事魔多し。幼くして長男幸千代が死に、その5年後には夫の忠刻が亡くなるとともに、実母・義母がつぎつぎと他界しました。
これをきっかけとして千姫は姬路城を出て江戸城へと向かいます。時の将軍は三代徳川家光でこの人は千姫の実弟です。悪くされるわけがない。
そして、その後出家したということです。
11.大天守
いよいよ天守へと向かいますが、両サイドを、容易に入り込めないようにと作られた壁に挟まれてクネクネと歩くので、どういうルートを取っているのかよくわからぬまま天守入り口へとたどり着きます。
天守は時代とともに大規模になってゆくのですが、秀吉が築いたのは三層であったと言われてることから、この時はまだかなり小ぶりであったと想像できます。
現在の姿は1600年代初頭に関ケ原合戦での功労者、池田輝政が建築したもので、東・西・乾という小天守を渡り櫓で連結し、そこに外観が5層、内部は7階の大天守が鎮座する連結式天守という大規模なものになっています。
大天守の中の仕組みなどは、説明なんか読むより、実際に入って確認するほうがいいです。心柱とか武者隠しとか、興味ある方にとっては正にネタの尽きない場所です。
最上階からの景色はいいはずですが、一面に防護網が張られていて、しょうがないとはいえ結果的に興味を削ぐことになってるのが残念です。
でですね、姬路城の美しさの理由ですが、勿論一つには白漆喰ですね。白! それともう一つ大きな理由は、3つの小天守と大天守の総合的な建築美、それに加えて二の丸の長い白壁。これらを全部一度に見られる、それが圧倒的な美しさを感じる所以だと思うのです。
最上階の長壁(刑部)神社
実際に最上階まで登るとわかりますが、ど真ん中に長壁という神社が祀られているのですよ。天守閣最上階のど真ん中にですよ。
元々は地元の人達が信仰していた地主神で、秀吉が築城の際に刑部神社を姫山から総社に移しました。が、これがよくなかったか。
池田輝政が築城して間もない頃一通の書状が届き、その中には「池田夫妻に天狗が取り付き呪いをかけようとしている」と。
「これはいかん」と直ちに姬路城「と」の三門に刑部神社をお迎えしたとか。(現在との三門は入れない)
しかしその後不幸が続き、「やっぱり刑部神社のたたりだ」と噂され、「人のいない天守から夜な夜な明かりがついて多くの人の泣き声が聞こえる」などと言いふらされたのです。
そして具体的な経緯は不明ですが、大事にされなければならない刑部神社はいつの頃からか大天守の最上階に移されたそうです。
12.お菊の井戸
天守群のすぐ南側の広いスペースは「備前丸」と呼ばれている池田輝政が実際に住んでいた所です。今は何にもなくて、というのも明治15年に火災にあったのです。
火災ってホントどうしようもない災難ですね。歴史の中で、一体どれほど多くの文化財が消失してしまったか。
さて、備前丸のすぐ南側は一段低く、「お菊の井戸」があります。
名称の由来は、城主が小寺則職の時代に、お菊という女性が斬り殺されて捨てられた井戸だからです。
殺された理由は、則職の忠臣・衣笠元信を慕っているお菊を、横恋慕するお城乗っ取り犯・町坪弾四郎の悪巧みにあります。
弾四郎は、結託していた執権青山鉄山家の家宝である10枚セットのお皿のうち一枚を抜いて、1枚足りない責をお菊になすりつけました。
そこから自分に心を向けさせるストーリー「他言せぬから俺の女になれ」を描いていたのでしょうが、お菊の心は頑として元信から離れなかったために業を煮やして切り捨てるに至ったという浅薄男の典型みたいな話。
その後、夜になると井戸の側にお菊が現れ、さも悲しげに「いちま〜い、にま〜い・・」とお皿を数えるも、何度数えても一枚足りなくて涙を流す。
これ実は「播州皿屋敷」という江戸時代の怪談で、浄瑠璃となって上演されると全国的に大ヒットしたとか。
浄瑠璃では、「毎夜悲しくお皿を・・」では人の納得するエンディングにならないので、悲しくもちゃんと収まるような結末となっています。
今は半分忘れられている気もしますが、私は若い頃に映画でもテレビでもこの怪談を見ています。
しかし、お菊さんにしてもお岩さんにしても、日本の怪談はクズ男の話しばっかで、なんだかねぇ・・・
あっそうそう、お菊さんを祀った「お菊神社」も姬路城の近くにありますよ。
るの門
有料エリアの入口として、上の写真のように菱の門がありますが、そのすぐ東側には三国堀という池があります。そしてそのさらに東側には秘密の「るの門」があります。
よかったら最後に寄ってください。
石垣を一部くり抜いて通行できるようにしているところで、わざわざこんなへんてこな造りにしているには戦略的な目的があります。わざと見えないように造ってるのです。
しかも、もしこの門が攻略されそうになったら、即埋めて壊せるように仕組まれてます。
戦禍に遭わなかった城とはいえ、やはりお城のあちこちには実戦に備えた仕組み・配置がありますね。
13.千姫ぼたん園
藩主が治めていた当時、政治を行う場所を上屋敷、私的生活を送る場所を下屋敷と呼んでいました。
現在の三の丸広場のあたりに下屋敷があって、千姫ぼたん園のあたりには上屋敷がありました。
ここがぼたん園になったのは、1993年に複数の造園家の提案が実現したものです。約4200坪の庭園内には80種1500株のボタンが植えられています。
赤や白の大輪ぼたんはとても見応えがあるそうで、私も機会があれば一度は見たいです。
1件だけグルメ紹介
はまもとコーヒー
過去、テレビやYoutubeで何回も紹介されている、アーモンドトーストが有名な喫茶店を紹介しますので、お時間があれば立ち寄って美味しいコーヒーを飲んでください。
「はまもとコーヒー」というお店で、昭和の薫りた漂う由緒正しき正統派喫茶店というか、要は今時じゃないお店です。
メディアで必ず紹介されるのは「アーモンドトースト」です。シュガーマーガリンの上にローストされたスライスアーモンドが乗っていて、想像つく味だけれど、実際に食べてみると香ばしくてなかなかうまいです。
これを食べながら、一杯ずつ目の前でサイフォンで淹れてくれるコーヒーを飲むんですが、このコーヒーがまたなかなかのもんです。
このセットで頼んでも、11AMまではモーニングサービスがつくので、そうするかどうかを尋ねられます。
三色ジャムの半切トーストとゆで卵です。
JR姫路駅から姬路城までまっすぐに突き抜ける「大手前通り」という目抜き通りがあり、ここを歩くと迷う心配がありません。
で、大手前通りの東側には並行する「みゆき通り」という商店街がありまして、「はまもとコーヒー」はみゆき通りの、駅から姬路城までのちょうど中間地点にあります。
- はまもとコーヒー:ホームページ
姫路おでんと穴子飯
「はまもとコーヒー」の話ではないですが、姫路は「姫路おでん」が有名です。これは普通のおでんを生姜醤油で食べるものです。
また、あなご飯も有名で、いずれも食べさせるお店はたくさんありますので、スマホのGoogle Mapで調べて高評価店に行ってください。
一つ注意点として、昼食時を過ぎると一旦閉店というか休憩に入るお店が非常に多いです。
ちょっとしたおみやげ
ヤマサ蒲鉾
個人的に、姫路の食べ物といえば「ヤマサ蒲鉾」がまっさきに思い浮かびます。
メディによく取り上げられているのは通称「ちーかま」で、チーズのアメリカンドッグの小麦粉部分を魚のすり身に置き換えたものです。
旨味に加えて甘みと塩味のバランスが絶妙で、これ嫌いな人って探すのは難しいと思いますよ。
そうではあるのですが、それよりも、私はやっぱりヤマサのオリジナルかまぼこが好きです。白ワインにもビールにも酒にもよく合って、本当にうまいかまぼこです。
- ヤマサ蒲鉾:ホームページ
MARGUERITE SPOON
スコーンで有名なお店です。さっきから「うまい」ばっかり連発してますが、ここのスコーンもまじうまいです。
本場のとはちょっと違う、経営者試行錯誤の上のオリジナルで、種類も豊富です。特に、チーズが上に乗って生地にもチーズが練り込まれているスコーンは絶品で人気の品です。
その他、マフィンやクッキーにチョコブラウニーなど焼き菓子もいろいろ。
こういう、一からオーナーが苦労して作り上げ、それを認められたからこそ経営が継続できるお店は、すべての面において信頼できます。
こっち系に目がない方は立ち寄らない理由がないでしょう。
(写真を載せようと探してたら撮り忘れに気づいた。5つも買ったのに全部食べ終わるまでに思い出さないとは・・)
- MARGUERITE SPOON:インスタグラム
甘音屋
甘音屋は和菓子の専門店です。
特に「冷やしみたらし せせらぎ」が有名で、これまたメディアでよく紹介されています。
こういうのって団子に砂糖醤油でどこで食べてもありきたり。そうでしょ。特別なものじゃないから「味」の表現が難しいんですよね。でもなぜかおいしい。
午後から行くと売り切れてることもあるので、「是非とも」な方は午前がいいかも。2箱売りで税込み843円と、ちょい高め。
- 甘音屋:ホームページ
その他お土産店
2つ紹介します
- 入城口のおみやげ店:入城後すぐの場所にあって、ここでしか買えないオリジナルグッズを揃えています。
- 桜門橋のすぐ前に飲食店とお土産店が並んでいる
まとめ
この記事は、これから姬路城を訪れるあなたに、私が推薦するルートをご紹介しました。とともに、各ポイントのミニ解説を載せましたので参考にしてもらえれば幸いです。
私の持論なんですが、事前に知識がある程度ないと、現地に行ってもちっとも楽しくないんですよ。何を見ていいかすらわからないし。
だから行かれる前にこういった記事を読まれることは、けして無駄にはなりません。
もしよろしければ、下の各タイトルから飛ぶことができるので、2度読みして理解を深めてください。
最後に、「もう少し知識を」という方に向けて、凄く楽しく読むことが出来て、そしてためになる公式ブックを紹介して記事を終わります。
そこでこの記事では、姬路城をもっと色んな角度から見て魅力を再発見するとともに、好古園にも寄って、この信じられない日本庭園の美しさをお伝えしようという企画で進めます。
それからおまけとして、気軽におみやげを買える幾つかのお店の紹介と、姬路城に行く前に入る喫茶店も紹介します。