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「父の日」の印象は薄い?
親子の関係って時代とともに少しずつ変わってきているように思います。経済環境の変化や社会の変化は家庭の変化も促すのでしょうか。
もし危惧感があるとすれば「母の日」「父の日」は親子の価値観を確認し合ういい機会だと思います。
さて、日本では「父の日」って毎年6月の第3日曜日と決められていますがご存知でしたか? 「母の日」は5月の第2日曜日って誰でも知ってるんですけれどね。
残念ながら「父の日」ってちょっと影が薄いんですよね。アメリカの東海岸に住んでいる親友も同じことを言ってました。
今回は、父親としてそういうちょっと寂しい現実を踏まえながら、改めてでもないですが「母の日」「父の日」の由来なんかを見て行きます。
「母の日」の由来
特定の起源に現在の「母の日」の原型があるのではないようです。
ですから現代世界の「母の日」も、日本のようにアメリカから入ってきた文化である場合もあれば、各国独自の「母の日」も沢山あります。
ギリシャ神話
さて一番古い母の日の起源は、ギリシャ時代の話だと言われています。
古代ギリシャでは神々の母であるレア(Rhea)を讃える春祭りが行われていて、これを起源とする説です。レアは神々の母ということでゼウスやポセイドンなどの母であり、大自然と豊穣の女神でもあります。
レアはなんと弟クロノスとの間に6人の子を産みました。しかし子供に地位を奪われると危惧したクロノスは生まれるたびに自分の子を飲み込んだのです。
6番目に生まれたゼウスはレアが隠したために飲み込まれませんでした。結局飲み込まれた子達は後にお腹から出てきてクロノスを倒したということです。
そんなわけでギリシャ神話はなかなか面白くて奥が深いです。
紀元前1,500年〜2,000年頃に誕生して、それが脈々と受け継がれてきたわけですが、当然長い間口承でしたし、広がってゆく過程でその時その場所における背景も違うので変化してゆくんですね。
まるで生きているかの如く、過去から現代に至るまで解釈や表現で変遷を遂げています。絵画・戯曲・演劇・オペラやゲームネタにもなっていますよね。
何千年の時を経て全く色褪せていないところがギリシャ神話の価値を表していると思います。
イギリス
イギリスの「母の日」はマザリング・サンデー(Mothering Sunday)と呼ばれています。
子供はやはりお花やチョコやカードをプレゼントしたり、料理を作ってあげたり、家事手伝いをするようです。
日本やアメリカと同じように、お母さんに感謝を表す日ですが「歴史」は全く違います。
以前のイギリスでは、近くの教会における普段の礼拝とは別に、年に一度本山となる母教会(the mother church)にお参りに行くのが大切でした。
その折には家族で行くために、親元から離れて働きに出ている子供達に1日の休暇が与えられ家族の元へ帰されたのでした。
それがイースターの、日曜日を除く40日前にあたるアッシュ・ウェンズデーから4番目の日曜日でマザリング・サンデー(Mothering Sunday)と呼ばれたのです。
子供達は本来の目的はともかく、日頃なかなか会えない母親や家族と会えるのがとても嬉しかったでしょうね。
キリスト教で最も重要な祭典で「復活祭」つまりイエス・キリストが死後蘇ったことを記念する行事。イースターの日は「春分の日から最初の満月の次の日曜日」と決められているので毎年違う事になる。
アメリカ
地元社会での不衛生な環境撲滅、あるいは南北戦争で戦う兵士を分け隔てることなく治療する避難所の創設と看病に尽力したアン・ジャービス(Ann Maria Reeves Jarvis )という人が1905年5月9日に亡くなりました。
その娘アンナ・ジャービス(Anna Jarvis)は母の偉大な功績をたたえ、母が好きだった白いカーネーションを身につけて尊敬の意を表しました。
それ以後、母の仕事の精神を記念する特別な日の創設キャンペーンを行い次第に国中に広げ、ついに1914年には5月の第2日曜日を「母の日」とする議会決定にウィルソン大統領が署名したのでした。
ここに至る別背景として、アンナはそれまでのアメリカの祝日が「男性の行動」の成果に伴っていることが多いことにも違和感を覚えていた事があるようです。
さて、アンナは元々は「母の日」を母と家族の個人的なお祝いの日と考えていたようです。そして当日はバッジのように胸に白いカーネーションをつけて母親の元を訪れたり教会の礼拝に出席するというものです。
生存中の母親には赤いカーネーションを、というのもアンナの発案です。
アンナ・ジャービスの提唱した趣旨とは全然違うのですが、ジュリア・ウォード・ハウ(Julia Ward Howe)という人が1870年に「母の日の宣言」を発表しています。
「世界中の女性が平和のために団結しよう」という訴えで、当時の社会環境(南北戦争で多くの未亡人が発生した)から考えれば生まれてくる必然性を感じます。
そして1872年に「毎年6月2日を平和のための母の日」としてお祝いする提案をしたけれど大きな広がりには至りませんでした。「母の日」がアメリカで制定される43年前のお話です。
もう一つ別の話として、ジュリアとほぼ同時期1877年にはジュリエット・カルホーン・ブレイクリー(Juliet Calhoun Blakeley)という女性が、5月の第2日曜、礼拝の途中でいなくなった牧師に代わり無事に終わらました。
これがきっかけとなって教会では5月の第2日曜日に母を讃える礼拝を行うようになったという話もあります。
しかし、そんな純真なアンナの思いとは裏腹に祝日制定を機に一気に商業化が進みました。これにアンナは猛然と反対し激烈な文章を書き様々な反対行動を起しています。
「母の日」の商品化・商業化にほとほと嫌気が差したアンナ・ジャービスは、母の日の花やカードやキャンディーの購入をやめるように人々に訴えました。
そして彼女は蓄えの大半を弁護士費用に当ててまで「母の日」名称を使用した事業者に無数の訴訟を起こしたのですね。
どうも訴訟の結果は彼女の思い通りにはならなかったようで、商業化は当たり前になっているし、カレンダーから「母の日」は消えていません。
一つよくわからない点がありまして、アンナが運動を結実させる過程で、当時のデパート王といわれたジョン・ワナメーカーという人が相当に助力していたようです。
普通に考えれば、こういう事業者がかんでくれば当然その先は見えそうなもんですけど、アンナはこの点をどう認識していたのでしょう?
アンナの真なる思いはともかく「母の日」が制定されるに至った功績は大きいはずです。商業化は消えたわけではないけれど、それが母親に対する愛を削り取っているわけでもないでしょう。
タイ
1976年以降はシンリキット王妃の誕生日である8月12日を「母の日」と制定して国民の祝日になっています。
「母の日」には国を挙げて「感謝の意」を表す多くの催しが開かれます。
また、この日はジャスミンの花がシンボルで、母にジャスミンを贈ったり、ジャスミンの花を使ったプレゼント包装の講習会が行われたりします。
母の日の色ですが「水色」と決まっていて、皆さんこぞって水色を着ます。というのも王妃の誕生日は金曜日で、タイでは金曜日は「水色」なのです。
水色を着て水色の旗を立てて王妃に敬意を表し、母親に感謝の気持ちを表すそうです。
中東アラブ諸国
3月21日が「母の日」です。エジプトの新聞が「母の日を作りましょう」と呼びかけをしたのに対し「春のような存在だから」という意見があって決まったそうです。それが徐々に他の中東色にも伝わっていったそうです。
・・・エジプト在住の方もそうおっしゃっているので確かにエジプトでは3月21日みたいです。やはりプレゼントの習慣があるそうで、メデイアも関係する音楽や映像を流しているそうです。
しかしその他のアラブ諸国については、どうもそうであるようなないような。よくわかりません。
我々の感覚で言う「母の日」はともかく、イスラム社会でも母親は非常に崇高で尊敬すべき存在ということです。これは間違いありません。
イスラム教の預言者ムハンマドは「最もよく付き合うべき相手は誰か?」との問いに対して、3度も「あなたの母親だ」と答えています。
また預言者ムハンマドは「天国は母親の足元にある」ともおっしゃったそうです。
日本
日本では1931年から当時の皇后さまの誕生日である3月6日を「母の日」(国民の祝日ではなかった)としていましたが、改めて戦後の1947年に5月の第2日曜日を「母に日」と定めました。
尤も、一般的に普及したのは森永製菓が1937年に「森永母を讃える会」を設立して、その普及活動を全国規模で展開してからという説もあります。
同年に「第一回 森永・母の日大会」という催しを実施していますが、豊島園になんと20万人ものお母さんを無料招待して大層賑わったそうです。
その他、大正時代の初期にかけてキリスト教教会で「母の日礼拝」が始まりそこから云々という説明が多くありますが、根拠がよくわかりません。
また、それ以前はどうだったのでしょう。日本には母を敬う日とか母に感謝する習慣は全くなかったのでしょうか?
アメリカの文化の輸入版ではない、日本独自の「母に感謝する行事」がどうしてないのか私には不思議です。江戸時代とか平安時代とか。
ひょっとして「端午の節句」がそれに該当するのでしょうか?
「父の日」の由来
アメリカ
アメリカ人にウィリアム・ジャクソン・スマート(William Jackson Smart)という人がいました。彼は南北戦争から復員した後、妻に先立たれ、以後一人で厳しい環境下6人もの子供を育て上げました。
やがてウィリアムも子供が全員成人するとともにこの世を去りました。
6人兄弟の末っ子のドット婦人は、大変な思いをして自分たちを育て上げてくれた父親に対して非常に感謝していたと言われています。
ドット婦人は「母の日」があるのであれば「父に感謝する日」も必要であろうと考え1909年に提唱し、1910年の6月19日に教会において最初の感謝の日を開催しています。
次第に「父の日」はアメリカ全土に広まり、1916年にはウッドロー・ウィルソン大統領が「父の日」の演説を行い、アメリカ全土に定着しました。
そして、1966年にはリンドン・ジョンソン大統領が6月の第3日曜日を「父の日」と定め、1972年には正式に国家の記念日となったのです。
それ以来6月の第3日曜が「父の日」と決まっています。
父親にバラを贈る習慣は、ドット婦人が亡き父の墓にバラを供えたからとされています。アメリカでは生前には赤いバラを、亡くなってからは白いバラを贈りっています。
台湾
台湾は語呂合わせで「父の日」を決めています。
つまり「父」の事を北京語では「爸爸」と書きますが、この発音は「八八」と同じで、そこから「父の日」は8月8日となったんだそうです^^
カソリック系の国
その他、キリスト教カトリック系の国では3月19日(聖ヨセフの日)が「父の日」です。
また別の多くの国には多くの父の日があります。
日本
日本の場合は「母の日」と同じようにアメリカからの輸入です。
ただし「母の日」にしても「父の日」にしても「クリスマス」にしても完全コピーではありません。
本来は大切なはずの宗教的背景が完全に消えています。と、無宗教の私が言うのもおかしいのですが、今後文化として、より定着するかどうかを考える場合に大きなキーになるような気がします。
父の日はなぜ軽い?
しかしですね、世のお父さん方に問いますが、なんか「父の日」って重みがないと思いませんか? なんか「寂しくさせられる日」みたいに感じません?
「母の日」はギリシャ神話の時代からの歴史を持ち、各国に様々な「母の日」があるけれど、その意味合いにおいてはあまりブレがないでしょ。
だいたいどの国においても「偉大なる母に尊敬と感謝を」みたいな感じじゃないですか。
それに対して「父の日」はなんなのでしょうね?
アメリカの例でも「母の日」と違って、「父の日」って発案から制定まで非常に時間がかかっていますよね。
聖ヨセフの日に至っては、そもそもヨセフはイエス・キリストの実の父親じゃないし、母のマリアは聖母と呼ばれ信仰の対象にさえなっているのに、ヨセフは存在を探すことすら難しいのですよ。
そうかと思えば語呂合わせで「父の日」が決められたり・・・・
さらに拗ねるネタとして・・
5月5日は国が定めた「こどもの日」です。条文には「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と謳われています。
「父母に感謝」じゃないんですよ!!
もっとはっきり自覚させられるのは、「父の日」が制定されていても、その日すら知らないし、だから当然感謝もプレゼントもなし、みたいな状況は結構世界的なんだそうです。
ねえ、世のお父さん、どう思います?
父の日の行事は取りやめるべきという動きが広がっているそうです。理由は離婚などの事情で一人親が増えたからだそうです。特に離婚率の高い高知県では、ほぼ全滅だそうです。
子供さんを預かる保育園や幼稚園では多面的な配慮が必要なので、方向性としては仕方がないようにも感じますが。
しかし、そういった事情を勘案しつつも尚「父の日」行事をなくさない保育園もあるそうです。
プレゼントについて
カーネーションやバラについてはあなたもよくご存知の通りですね。
母親へのカーネーションはほぼ同一認識でスタンダード化しているように思いますが、父親へのバラはちょっと微妙ですね。
バラを贈ることすら微妙なので、黄色の花言葉がどうとか、そういうレベルまでなかなか行き着かないと思います。行事の廃止すら叫ばれているわけですから。
一般的に、時代とともに変化していくのが文化です。
今後の動向としては、花は残るでしょうが、プレゼントはより贈られる人の好みが反映されるようになってゆくでしょう。
なので、日頃の家族のお話の中で自然にお父さんお母さんの好みは把握しておくのがスマートですよね。
あと、プレゼントは必ずしも何らかの商品ということもないでしょう。
個人的には過去子供にもらったプレゼントで一番嬉しかったのは、下手な字で書かれたカードでした。「ありがとう」の一言が嬉しいんですよね。
最後に
最初は単純に由来の解説だけをするつもりだったのですが、なんだか愚痴が入ったり問題提起のような部分ができてしまったり、となってしまいました。
それでもね、この先どれだけ歴史が積み重なっても、どれだけ社会が変化しても、子供が親(特に母親)に対して感謝の念を持つ気持ちは変わらないでしょう。
そうだとすれば「母の日」「父の日」自体はどういう変遷を辿ってゆくのかはわかりませんが、変化はしても精神そのものまではなくならないはずです。(とは言うものの、やっぱり「父の日」は怪しいかも、、)
ある意味、それは人間としての種をつないでゆくためのDNAベースの本能のような気もするのです。
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