恒春の歴史
台湾でのマリンスポーツのメッカといえば最南端の街、墾丁ですが、その手前にあるのが恒春という小さな街です。
この記事では、城壁で囲まれた恒春の街中の観光スポットと出火特別景観区、そして国立の海洋生物博物館に関する情報をお届けします。
また、記事の中では基本的に城郭の中だけを「恒春」と呼ぶことにします。
さて、元々この一帯は原住民のパイワン族の居住地でしたが、鄭成功が1600年代に侵入してきて支配下に置きました。
別記事「四重渓温泉の泉質は台湾一かも」で紹介しているように、1870年代に日本との間に牡丹社事件が起こり、それ以後、当時台湾を治めていた清朝の役人沈葆楨の進言で城壁が築かれたのです。
「え〜? な〜んだ、対日本用に作ったのか?!」と初めて知った時は結構びっくりしたものです。
城壁は台北にも台南にも高雄にも(その他の場所も)残ってますが、こんなのって当然ながらインフラ整備上の邪魔でしかないので、どこもほんの少ししか形を留めていません。
ところが恒春ではむしろ積極的に残しており、東西南北にある門と修復された城壁を含め、もちろん完全ではないですが、それでもダントツに面影を残しております。そう、台湾一なのです。
とはいえ、城壁をぐるっと一周したところで大した時間はかからなくて3km強くらい、それだけかわいい小さな町だと言えます。
以上のように恒春観光の大きな目玉は街そのものと城郭なので、そこに関心がないとどうしようもありません。
そういう意味ではより関心が湧くように心に残る旅行になるように、後で紹介しますが、台湾で大ヒットした映画「海角七号」を出発前にご覧になることを是非お勧めします。
気候
熱帯気候でしかも最南端ですから当然の如く暑いです。しかも直射日光の強度が半端ないわけでして。
6〜9月は雨季で、特に7〜8月はかなりの降水量を記録します。なので、マリンスポーツ目的でなければ台風を避けることも念頭に、10月〜4月くらいが体には優しいと思います。
気温については、夜明け前とかに行動するのでなければ、そして雨降りでなければ、ほぼ年中Tシャツもしくはその上に一枚。プラス予備で荷物にならない薄いダウン一枚。
ですから12月〜1月の一番寒い日なら上記3枚重ねでちょうどか蒸し暑いかくらいです。但し、すごい寒がりさんはそれなりに。
もう一つ注意点があります。秋から春にかけて強い季節風が吹きます。
「季節風、ふ〜ん?」じゃなくて、そんな生易しいものではなく滅茶苦茶強い風が吹きます。
街の中にいればそれほど感じないかもしれませんが、城壁の上を歩いている時は突風でバランスを崩さないように注意しなければなりません。
恒春への行き方
高雄からバスに乗っていく以外に選択肢はありません。
詳しくは別記事に説明しておりますので参考にしてください。↓
降りるのは「恆春」というバス停で、ここを恒春の中心とイメージしておくと活動しやすいかもしれません。
所要時間は左営から高雄空港からとも、凡そ1時間45分前後です。距離の割に時間がかかるのは高速交通網が整備されていないからです。
でも、高速道路が恒春や墾丁まで延びるのがいいのか悪いのか・・・
では観光スポットのご案内をしていきましょう。
恒春古城
先にも述べた通り外敵進入防止目的で作られた城壁と東西南北にある出入り門です。
1875年に着工し1880年に完成しています。それから日本統治を経て今日に至るわけで、その間大きな地震もあって城壁や各門はかなり痛めつけられたはずです。
1935年の日本統治時代に史跡に指定されました。
現在は「恒春古城再生計画」の推進で随分修復がなされています。ただ、元のまま忠実に残されている部分と如何にも新しくなってしまった部分があって、そう言う意味ではまだらです。
一番大きな南門は確かに立派ですが、度重なる改修で元の姿ではないということです。大きな南門の周りはロータリーとなっており、写真写りの良い象徴的な場所と言えます。
姿を見ると意外なんですが、南門には入ることも登ることもできません。
さて、南門を見てから北門を見ると意外ですが、実は北門が当初の正門だったそうです。城壁には登れるところがたくさんありますが北門も登れます。
次に西門ですが、海角7号を見てたら、友子が自分たちの車が通れる通れないでごねてた場面を絶対思い出しますよね。そう、それがまさにこの西門です。
中山路を北に歩くと西門があるのですが、この辺りは昔の面影ある建物がたくさん残っています。グルメ編で紹介した湯匙放口袋 Spoon in Pocketも西門のすぐそばです。
もし恒春に来られたら是非城壁に登って歩いてください。完全になくなっているところも一部ありますが、かなり残されている、或いは修復されています。一周で僅か3km強です。
城壁の上を歩きながら4つの門を巡るのが、恒春でしか経験できない観光でしょう。
過去に想いを馳せながら城壁の上を散歩っていいもんですよ。
一つ注意点として、城壁は上にも述べましたが完全ではなく、結構長い部分と短い部分があります。そしてそれぞれにはどこかに下に降りるスロープがついているのですが、それが一番端っこであるとは限りません。
なので端っこまで歩いて「スロープがない???」となり、ちょっと戻って下りたりすることもあります。
漂浮城牆
城壁がなくなって写真のようにとんでもなく変身しました。なかなか斬新でしょ。
橋の下は恒春小学校なのですが、おそらく小学校建設のために城壁が犠牲になって、その代わりに漂浮城牆ができたのでしょう。
なので城壁一周散歩をする時には必ずここを通ることになります。ゆったりと街を見ながら渡ってください。
石碑公園
西門の南側一帯に広がる公園で、珊瑚礁岩でできているとっても珍しい丘というか小山、いやいややっぱり丘かな。
清朝の頃は「猿洞山」(昔は猿山だったから)、日本統治時代は「恒春公園」、そして今は「石碑公園」という名称になっています。
周囲には天后宮、広寧宮、龍泉巌、福徳祠があり、昔から恒春の信仰の中心であったことがわかります。
また石碑がいくつか立っていて、中には「日本軍恒春城攻略記念碑」なんてのもあります。そう、ここだからこそ壊されていないのです。
今改修の最中で、ゆくゆくは周囲の歴史的古民家も合わせて、恒春古城の芸術と文化の中心とする計画らしいです。楽しみ。
阿嘉の家
それこそ「海角7号」を観ていない人にとっては意味のない場所。ですが、観た人にとっては懐かしい「阿嘉が住んでいた家」です。
また、友子が酔っ払ってドアを叩きガラスを割ったシーンも、まさにこの家のドアでした。
実際にこの家で撮影が行われていたそうで、たくさんの関連写真が貼られています。でも阿嘉が寝泊まりしていた二階の部屋は開放されていません。
ある説明によると、「頼めば案内してもらえる」とありますが、少なくとも私にはわかりませんでした。
今は記念葉書やキーホルダーなんかの小物を売っているお土産屋さんになっています。
もし行かれたら店内をよく見てください。映画で使われていたものが幾つも置かれています。探す楽しみがなくなるので言及はしませんが^^
映画を見ていて阿嘉の家に想いを寄せられる人は、向いにある波波厨房(恒春グルメ記事で紹介したお店)にも、より関心が高まるのではないでしょうか。
この映画は2008年に台湾で公開された映画です。監督は魏徳聖(ウェイ・ダーション)という人です。
代表作は「セデック・バレ」・「海角7号」・「KANO 1931海の向こうの甲子園」などで、どれも日本統治時代に関係する作品ばかりです。(「KANO」は監督ではないが制作責任者)
いずれの作品も台湾では爆発的にヒットしていますが日本では鳴かず飛ばずです。
理由として、台湾人の多くは日本統治時代のプラス部分を評価し、日本人に強い親近感を持ってくれています。ところが、日本人は台湾人ほどには過去からの歴史に興味がないし、だからそういったことに根差す物語に心が動かないのでしょう。
あらすじ
時代背景を全く知らないでこの映画を見ると、おそらくあんまり面白くない、感動しない結果となる気がします。
たいがい台湾びいきの私が見ても上手なシナリオだとは思いませんので・・・
ストーリーには三本の柱があって、一つ目は恒春の町おこしイベントを開催するまでの話。ここで主人公の郵便配達員でかつイベントステージでボーカルを担当する阿嘉と日本側マネージャーの友子(日本人)が次第に近づいていく。
二つ目は、都会化の波からすっかり忘れられ、若者が仕事するだけのものがない田舎、恒春の悲哀や努力や温かさなど。そして多民族が一緒に暮らしている様。
注意深く映画を見ていると、複数の民族、複数の言語が映画の中に存在してますし、キャストにも複数の原住民ルーツの方がいます。
三つ目は、日本統治時代に日本人教師が台湾人の教え子小島友子(改姓名)と恋に落ちたが終戦で日本に帰らざるを得なくなり、帰国後書いたラブレターを、今を生きる娘が台湾に郵送する話。
映画タイトルの「海角7号」は、正確には当時の「高雄州恒春郡海角七番地」で小島友子の住所です。
郵便配達員阿嘉が昔のラブレターを配達に行くも、既にその住所はなかった。さて結末はどうなるのか・・・
ざっとこんな感じなのですが、過去と現在の友子の関連性を感じることができず「何が言いたいの?」となってしまいます。これが非常に大きな失望の原因です。
もう一つの要因は、統治時代の日本人教師と恒春のステージで歌う日本人ゲストの二役をやっている中孝介が超超ミスキャストであるとともに、映画の観客は何故一人二役なのかがまるでわからない。
とまぁ大きく批判しているのに、何故ここで「海角7号」を出発前に見ることをすすめるのか? ですね。
昔からの私の持論なんですが、何の情報も持たずに見知らぬ土地にいったとて、形になるような感情が湧くでしょうか?(いや沸かない)。
そこで事前に海角7号を観ておくと、舞台はまさに恒春(城郭外も含めた広い範囲ですが)なので、例えば「西門」や「阿嘉が住んでいた家」なんかの前に立つと映画の光景が思い出されるじゃないですか。
「あ〜ここで撮影したんだ」って。
それに映画を観るからこそ、恒春という街の風景やそこの経済その他の事情、そして住んでいる人たちの様子なんかが記憶に残ります。
そうすると、実際に訪問した時に記憶と現実がリンクして興味が二倍になって、より一層いい思い出が作られると思うのです。
出火特別景観区
「出火」ってなんとも味気ない名称ですが、地下の天然ガスが上がってきて年中燃えているそうです。
東門を出て恒東路を東へ約1kmくらい行ったところにあります。距離的には大したことがないですが緩やかな登りなので、カンカン照りの真昼間は行かない方がいいです。
現地に着いたら駐車場から木で組まれた階段を降りてゆきますが、下りる前に一番高いところで周囲を見渡してください。きれいですよ。
で、現場ですがはっきり言ってショボイ^^ しばらく目を凝らさないと炎が見えません。
冬から春頃が見るのに適しているそうですがどうかな??? 夜に行けば美しく見えるかもしれません。でも自家用車でもなければ夜ここまで来るのはちょっとね・・・
まぁ、写真検索で出てくる写真は結構すごいのがあるので、条件が揃えば、ということでしょうか。
基本徒歩だと思いますが、もしバスを使うなら墾丁街車の緑線を利用します。(墾丁街車路線図は下の博文館に貼っておきます)
国立海洋生物博物館
国立の大きな水族館です。場所は車城郷で、この記事は恒春鎮の紹介をしているのでちょっと変ですが、隣なのでこちらにまとめます。
場所は車城福安宮の南で恒春空港の西側の海沿いになります。
広さは60haで東京ドーム約13個分です。ですからかなり広いことがわかると思います。
敷地の中には展示館としての建物が三つあってそれぞれテーマごとに様々な魚やペンギンもいます。
台湾の施設でいつも思うのは、「国立」は凄いということ。予算の使われ方が違う。興味のあるなしは別として、しょぼい施設は一つもない。
台湾一の広大な水族館は時間があれば行く価値が十分にあります。
一つ目のテーマが終わったら裏から二つ目の建物に移動します。裏はすぐ海ですよ。
お土産コーナーも充実しています。
大人料金は450元ですが、これだけの設備であれば相応であると思います。
施設の中には何箇所か食べ物飲み物を売っている場所があります。そして私は海味食堂で桜海老ご飯定食みたいなのを食べてみました。
まぁ普通に美味しいけれど感動のある味ではなかったかも。チョイスが悪かったのか、どれもこの程度なのかはわかりません。
行き方は墾丁からにせよ恒春からにせよ墾丁街車(時刻表あり)の橘線(オレンジライン)を利用します。恒春からだと乗車時間はだいたい15分足らずです。()
高雄・左営からは9189、高雄空港からは臨918に乗車しともに南保力(海生館轉乘站)下車後墾丁街車の橘線に乗り換えです。
国立海洋生物博物館
- 住所:車城鄉後灣路2號
- 電話番号:08 882 5678
- 営業時間:9:00〜17:30(7・8月は18:00まで、7・8月土日祝日は8:00オープン、無休)
- 料金:450元(クレカ・悠遊カードOK)
- 日本語音声ガイド:150元/4時間半(サービスセンターで)
- ホームページ:国立海洋生物博物館
まとめ
恒春の概要と観光案内でした。
おそらく多くの日本人は恒春だけでなく、墾丁にも行くのではないでしょうか。
であれば、観光案内も恒春と墾丁を纏めれば良さそうなものですが、字数がかなり多くなってしまうので分けました。
なので墾丁観光の記事と一緒に読んでいただければ幸いです。
一応スポット案内はしましたが、コンパクトな街なのである程度歩き込むと、街そのものの風情というものを感じるようになり、それが一番の観光なのかなと思ったりします。
また、恒春は計画に基づいた観光地を目指し手入れを進めているので、数年後に再訪すると更に魅力的になっているでしょう。
恒春半島の観光記事
コメントを残す