文化継承が困難な時代の「初盆」
何十年か前までは、まだ現在ほど人の流動性も活発ではなく、地域社会がしっかりと形成されているところが多かったです。
また、その頃のお家の多くは、両親・自分たち夫婦・子供たちの三世帯が一緒に暮らすパターンが結構普通でした。
そして、各ご近所はずっと以前からご近所のままで、だから、それぞれをよく知っており助け合うのもごく当たり前でした。
これらの事は、地域文化の継承には非常に都合が良かったんですね。
現在のように、どんなことでもネットで調べられるという環境はなかったけれど、そのかわり、年中行事や冠婚葬祭の知識がなくても両親や周りの人たちが教えてくれました。手伝ってくれました。そして自分たちもやがては継承してゆく側になる・・・
ところが、今の社会はみんながバラバラになって地域性がどんどん薄くなって、幼少の頃から生活の中で自然に学ぶチャンスがなくなってしまって、なので成人してからも困るという循環です。
この記事は初盆に焦点を当ててお話ししていきますが、ネットで確認すると、どうしていいかわからず、困っている方がたくさんおられます。
そこで、寺の住職をやっている友人や神職関係者、また知り合いの葬儀会社経営者などに教わりながら、更にネットでも確認し、初盆のさわりを解説します。
初盆の神仏習合と地域差
日本人は長い歴史の中で神道と仏教を融合させてきました。神仏習合ですね。
なので、日常普通に行なっている行事にも、我々が気付いていないだけで、純粋に神道から見れば或いは仏教の観点からするとおかしなことが、全く違和感なく混ざって溶け込んでいます。
神道では亡くなった人は神様になり、幽冥(かくりよ)にいていつも子孫を見守ってくれています。子孫は子孫でご先祖が幽冥で楽しく暮らせるように手を合わすのです。
幽冥は向こうからは見えてこちらからは見えないとされています。
いずれにしても現世とはそう遠くはなく繋がりが切れる事もなくいつも守護してくれている、一方、死直後は穢れているので子孫が供養し、その結果浄化して祖霊へと変わっていきます。
ところが仏教では、亡くなった人は成仏しているか輪廻を彷徨っているかどちらかです。成仏していれば(既に仏界にいるので)供養の必要性はないし、成仏できなければ死後49日目で生まれ変わります。
成仏せずに生まれ変わる場合、人間界に生まれ変わるかどうかは裁き次第です。修羅界かもしれないし畜生界かもしれない。下手をすると地獄界に生まれ変わる可能性もあるのです。
生まれ変わる以上、しかも成仏するまでそれが繰り返される以上、死んだという事実が直線的に続く前提で成立する「先祖供養」やこの記事のテーマである「初盆」の考え方とは盾と矛の関係になるのです。全く完全に矛盾します。
この矛盾している二つの思想が合わさって、長い間支持されているのが日本の仏教であり(坊さんなどの専門家がそれを是としているかは別の話)、「お盆」という行事です。
仏教は外来であり伝来以来その勢力を大きく伸ばしてきましたが、日本人は完全に染まることなく、神道の精神である祖先崇拝を捨てなかったのですね。
だから混ざるしかなかった(のかな?)。
混ざってしまっている別の例ですが・・・
例えば、仏式葬式から帰ったら家に入る前に、頂いた塩を自分にかけて清めますが(最近はこの習慣は影が薄くなったかも)、これは先に述べた通り、死直後は穢れているという考え方、つまり神道の発想です。
また仏式葬式を執り行った後、一定の期間を喪中としますが、喪中も神道の習慣です。
さて、長い歴史の中で形成されてきた日本独自の神仏習合ですが、これは完全に画一化されているわけではありません。
逆に、非常に地域性が高い、地域差が大きい文化・仕来りとして形作られてきたのです。
人がダイナミックに移動せず、情報が短時間で伝わらない時代はどうしてもそういう傾向になります。
流れ伝わった文化が強い地域性を帯びるという意味では、日本にキリスト教が伝来して、そして日本人の歌う賛美歌が原曲とは似ても似つかぬものになった、というのも同じ理由です。
回りくどくなりましたが、ですから初盆といっても、迎える時期や段取りその他が地域によって大きく異なる場合もあるということを最初に押さえておく必要があります。
逆に考えると、もしわからないことがあれば(ネットではなく)地元の方にお伺いをし、その通りにしておけば間違いないとも言えます。
服装然り、香典金額然り、お供え内容然り・・・。なので地域性がはっきりしているところほど地元の親戚縁者を頼るのが無難ではあります。
初盆の意味と迎える日そして行事内容
幼少の頃、「年に一度ご先祖様が戻ってくる日がお盆だよ」と教えられました。
すごく臆病だったので、「もうここに戻ってきてる」と父に言われたりすると、なんか怖くて落ち着かなかった記憶があります。
さて、お盆は祖先の霊が帰ってくる日ですが、故人が亡くなって初めて迎えるお盆は特別で、初盆といいます。関東甲信越地方では新盆(しんぼん・にいぼん・あらぼん)ともいいます。
初盆は8月13日から16日の間に行います。(しかし地域によっては7月13日〜7月16日に行う場合もある、沖縄のように旧暦に基きお盆を祝っているところもある)
もし、亡くなった日の関係で、8月12日までに四十九日の法要が終了しない場合は、初盆は翌年になります。
いずれにしましても故人の初めてのお盆ですから、地方によって飾り付け等は違えど、一番賑やかに催されることは間違いありません。
- 遺族と親戚そして生前親しかった人たちが集まる
- 坊さんの読経・全員の焼香
- お墓参りに行く
- 戻ってきて遺族が用意した精進料理を頂きつつ故人の思い出話をする
大凡上記のような流れになります。普通のお盆は、家族だけで行い坊さんにお願いしないケースも多いので、やはり初盆は特別です。
初盆の飾り付けは独特で、精霊棚(と呼ばれる位牌やお供え物を置く盆、地域によっては盆棚ともいう)や、キュウリとナスでに割り箸(のように細い木)で足をつけ馬・牛を表す精霊馬を用意し、そして盆提灯に灯をともします。(リンク先のこうげつ人形さんのHPで詳しく解説されてます)
精霊棚には、四隅に笹を立て縄で巻いて結界を作ります。仏教にも結界はあるけれど、これは流石に神事の結界です。なのに坊さんが読経します。
何か思い出しません?
そう、建設現場の地鎮祭です。結界の規模は違うけれど全く一緒です。そして、結界を張って神職が祝詞を奏上するのです。(仏式のものもあるにはあるが、それは地鎮祭ではない)
日本人が作り上げてきた宗教文化って不思議です。
また遺族が、死後初めて帰ってっくる故人を迎えるために白紋天(初盆用の真っ白な提灯)を用意するのも初盆ならではですね。
白紋天は初盆にのみ使用するので、初盆が終わればは燃やして処分します。具体的な方法ですが・・・
- 自宅で送り火を焚ける場合はそこで燃やす
- その地域で大きな送り火をする場合はそこで燃やす
- お寺さんで焚き上げをしてもらう
- 白紋天にほんの少し火をつけすぐに完全消火しゴミとして捨てる
以上の4つのどれかなので、それぞれのご事情に合わせて処分されればいいです
他の親族は色物の提灯をおくる地方も少なくないですが、そして贈られる提灯の数が多いほど故人は慕われていたと言われていた時期もありましたが、現在はまるっきり住宅事情が変わっています。
スペースの関係もあるので最近は「提灯代」として現金で贈るケースも多いようです。(白紋天以外の色提灯を幾つ飾るかは家の事情があるので遺族に任せる意味合いが強い)
そういえば、さだまさしさんの歌で有名な「精霊流し」もお盆行事なのですが、初盆用の精霊船はやはり特別で(初めてみたらお神輿みたいでびっくりする)、故人が迷わず帰っていけるようにみんなで引きます。
まとめ
初盆についてのアウトライン的な内容の記事でした。概要は理解していただけたと思います。
実は、お盆は宗教行事ではないんですね。長年に亘り受け継がれている慣習であり日本独自の文化です。
知り合いの寺の住職は言いました「お盆と仏教はなんの関係もない」。ネット上にもどこかのお寺さんがそんなことを書かれてれました。
しかし、どう説明を受けても、仏教行事の一つとして私たちに定着してしまっています。
ところで、今後も初盆という文化は後世に伝えられていくのでしょうか。少し心配な面も見え隠れしています。
葬式に見る地殻変動がそう感じさせます。
寿命が延びすぎてみんな亡くなって、あるいは、親戚がバラバラになって付き合いもあまりせず、お参りに来る人が激減。
それに加えて、世の中全体が死者への畏敬の念が薄れて、そんなこんなで結果、形だけの葬式へと変わっているようです。
当然初盆にもそういう流れは波及するんでしょうね。既にしているかどうかはわからないけれど。
しかし、しょうがない部分はあっても、やはり伝えていって残していって欲しいです。いつまでも。
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