目 次
お雛様に関する疑問と考え方
もし娘さんがおられれば、毎年3月3日桃の節句が近づくとお雛様を出してきて一緒に飾りますね。そういうご家庭は多いと思います。
お人形を一体一体飾っているうちに、目の前にいる娘が今日まで無事育ってきた数々の思い出が蘇ったりして、この風景そのものが日本文化です。
ところが、毎年そうやっているうち時の経過とともに判断に迷うことがあれこれと出てくるんですね。
- お雛様は一人に一組必要か
- 何才までお雛様を飾ればいいのか
- 結婚したらお雛様はどうしたらいいのか
- 孫のお雛様は誰が贈ればいいか
- お雛様を処分する方法は
ね、色々と疑問に思うことが出てくるでしょ。こういった疑問に答えてゆくのがこの記事の主旨です。
とはいえ・・・真っ逆さまで、ちょっと乱暴な話ですが、どう考えてどう行動してもあなたの自由なのです。誰も咎めはしません。(内輪もめはあるかもしれませんが)
法律があるわけではないし、掟みたいな絶対的な決まりごともありません。
ですから、例えば・・・
- 雛人形は一家に一式のみ
- 成人すればお雛様は廃棄処分する
- 結婚しても持っていく必要はない
- 孫には私ルールで私が買い与える
仮に、あなたが以上のようなことを決めたとして社会から非難されることはありません。法を犯すことにもなりません。
各ご家庭でこのような我が家ルールがあったとしても何の問題もないのです。あくまでも個々のお家のことです。
一方、もう一つの考え方として、歴史や伝統に裏打ちされた文化に関しては、受け継がれてきた事柄を大切にする、或いは業界の意見も聞いてみる、というのもあるでしょう。
この記事は後者の考え方に沿って、歴史を鑑みて、そしてその上でよくある疑問とその答えを考えていきます。
ただ、以下を読んでいただくとわかりますが、お雛様に結びつく文化はえらい複雑で、現在ネット上で通説になっていることも推論部分が多いのです。
また、ある地方で守られていたりする文化が、他所ではそれに該当するものがなかったり。古いお家では過去から続く仕来りもそれぞれで一様ではありません。
でも、文化の変遷ってそんなものでしょう。常に多面的であり重層的でもあります。余りなしの割り算みたいなわけにはいかないものです。
・・・と、前置きのような言い訳のような言葉を述べた上で、まずは歴史を簡単に振り返ります。
歴史的背景
奈良時代や平安時代という太古の時代から、人形(ひとかた)を作ってそこに厄災を移し祓ってもらい、その後お焚き上げをしたり水に流したりする風習がありました。
源氏物語の中に、光源氏が人形(ひとかた)で体を撫で息を吹きかけ厄災を移し、そのひとかたを船に乗せて須磨の海に流すという行があるので、平安時代には流し雛は存在していたことになります。
この風習は、中国の3月3日上巳の日に流水で身体の厄を落とす風習と関係があるとする説や、それぞれが別に存在していて、次第に融合していったとする説もあります。
また、中国の流水で身体の厄を落とす風習は奈良時代に日本にわたり曲水の宴という優雅な貴族の行事に変わったという説もあり、今でもその風流な文化が数多く受け継がれています。
やがて、小さなひとかたに厄災を引き受けてもらい、そして、お祓いを受けた後に身につけたり家に置いたりして、持続的なお守り的な厄払い効果を期待していたみたいです。
当時、現在と比較すればたくさんの意味で環境が悪く、子供達が無事成人するのは大変なことだったのです。
何かことが起きてもなす術がなく、できることといえばお祈りやお祓いといった行為だったのでしょう。
この小さなひとかたで有名なのが「天児(あまがつ)」と「這子(ほうこ)」です。
そして、天児と這子をお雛様の原型とする説もあるのですが、ちょっと無理があるかもしれません。
なぜなら、お雛様が今の様式として整った江戸後期以降、しばしば、雛人形に添えて天児や這子を飾ったという記録が残っており、昭和の時代にも皇族がそうされたと記されています。
つまり、(天児・這子 ≠ お雛様)であると同時に、天児・這子は厄災を引き受けてもらうもの、お雛様はお飾りという区別も成り立ちます。
そして、時代は江戸・明治・大正・昭和・平成と流れ、いつしかお雛様自体に厄災を引き受けてもらい子供のお守りとしての意味を持たせていったようです。
ただそれが、いつから女の子専用になったのかはよくわかりませんが、以下のような理由から江戸後期ではないかなと考えます。
1. 江戸幕府が五つの節日(五節句)を定め、その中には3月3日の桃の節句が含まれています。即ち雛祭が城中公式行事とし毎年執り行われ流ようになったのです。
- 1月7日:人日<じんじつ>(七草の節句)
- 3月3日:上巳(桃の節句)
- 5月5日:端午(菖蒲の節句)
- 7月7日:七夕<しちせき>(笹の節句)
- 9月9日:重陽(菊の節句)
2. 雛飾りがいよいよ充実してきた享保年間には、豪華なひな壇に嫁入り道具一式が並ぶようになっています。
「雛祭り」という言葉は、やはり江戸時代中期以降に定着したようです。
3. 豪華な雛壇の雪洞に灯火して親戚縁者が寄って宴を饗するようになったのも、女の子の初節句とお雛様が結びついたのも江戸後期と言われています。
平安時代の物語書や草子の類に登場する「ひいなあそび」という、非常に素朴な人形を使った女児の遊びが描かれています。
一番有名なのは源氏物語の淀君の行で、「女児の遊びであるひいなあそびを未だにやっておられる」と女官が嘆いている場面ですね。
これをお雛様の原点とする説明は非常に多いです。
ところが「ひいなあそび」という女児の文化がいつまで続いたのかを説明するための根拠が全くなく(いつの間にかひいなあそびは立ち消えた)、ましてや、お雛様に変化してゆくプロセスなど全く不明なのです。
では、いよいよ各疑問について見解を述べていきますが、最初に一つだけ申し上げたいのは、もし親族との関わりが強く深く「〜家の古くからのしきたり」がある場合は、その地でともに生きて行くなら、それに従うのが一番です。
雛人形は一人に一組か
結論
一人に一つ。ですから次女が誕生したら次女のお雛様が必要です。
理由
お雛様はその子の厄災を引き受け、その子を守ってくれるからです。ということは、別の子には別のお雛様が必要になります。
新たな一組を置く空間がない場合の対策
女児の厄災を引き受けてくれるのは三人官女や五人囃子や随臣などではなく、男雛と女雛です。
ですから、男雛と女雛を一体ずつ追加で購入すればいいことになります。サイズや飾り方は、それこそご家庭ごとでいいのではないでしょうか。
逆に、主役の二体以外の飾りは、お家のご事情に合わせて減らしたとしても、本来の役割に変化が起こるわけではありません。
例外
上でも申しましたが、文化は幅広く社会に浸透しているものがあれば、一部地域にのみ、或いは、その家系にのみという場合もあります。
とある人の本家は非常に豪華で大きな雛壇を飾っていました。これはもう文化財のようなもので、勿論、その一式のみが長く引き継がれてきたのです。
こうなってくると、そのお家のお雛様の意味合いは、女児や女性というよりも一家丸ごとの厄災を引き取ってくれるということになるのでしょうか。
お雛様は何歳まで飾るのか
結論
終生
理由
災いというものは一生ついてくる可能性があるわけですから、あなたが生きている間は毎年災厄を引き受けてもらうのがいいでしょう。
そういう意味で、いつまでたっても季節がやってくれば飾り付けをすることには意味があるし、みんなでお祝いをするのが良いのではないでしょうか。
また、実家で母親が飾るのかご本人が飾るのかは、それぞれのご事情なのでどちらでも良いと思います。当然、決まりもありません。
結婚したらお雛様はどうしたらいいのか
結論
毎年飾り付けをして終生お祝いをする
理由
「何歳まで?」という設問と答えは当然一致します。
過去「結婚は女のいちばんの幸せ」と言われている時期もあって、「雛飾りは結婚まで」という話も見聞きしますが全く理にかなっていません。
万歩譲って、女の幸せがそうだとしても結婚はゴールじゃないでしょう。扉を開けただけじゃありませんか。
「幸せ」の扉をあけて中に入ることができた女の方は、それだけで厄災から逃れることができますか? 答えは「否」に決まってます。
婚期と飾り付けと片付け
お雛様の飾り付けと片付けの日を婚期と結びつけるような話を母親から聞いた方も多いと思います。
しかし、そもそも厄災を引き受けて幸せを願うお雛様が、あなたの婚期に悪影響を及ぼすはずがないのです。
ではどうしてそのような話が広まったのかというと、少なくとも歴史上の史実とは関係がないでしょうし、明確な根拠はありません。
よく言われているのは・・・
適切な時期に出して、そして仕舞うことを躾としていって聞かせる
- 然るべき時期にしまわないと「片付かない」つまり「お嫁にいけない」という屁理屈^^
- 厄災を引き受けてくれた人形はさっさと仕舞うのが良いという理屈
何れにしても一つの伝統的な行事ですから、適切な時期に出して、適切な時期にしまうのがいいことは言うまでもありません。
- 出す時期:立春から雛祭りの一週間前の間
- 仕舞う時期:雛祭り当日から2週間後までの間
出す時期は、「鬼は〜そと」と豆をぶっつけて厄払いをしてから飾り付けをするという手順なのでしょう。
仕舞う時期は、一説には、冬ごもりから虫が這い出してくる「啓蟄の日」(3月の7日前後)が良いという話もあります。また別に、飾り付けた日から数えて奇数の日にしまうのが良いという説もあります。
人形たちはデリケートで湿気やホコリを嫌うので、晴れて乾燥した日に薄い手袋をして慎重に仕舞うのが理にかなってます。絹の和服と同様に考えれば間違いありません。
- (豆知識)雛納め:雛祭りが終わった後お雛様をしまうことで、春の「季語」
孫のお雛様は誰が贈るのか
結論
お嫁さんの実家が買う(男の孫が生まれ五月人形を送る場合は夫の実家)
理由
確固たる理由はありませんが、昔はお雛様が嫁入り道具の一つだったことに起因しているのではないでしょうか。
しかし、特に戦後は目覚しい経済発展を遂げ交通インフラもとんでもなく進歩したので、昔では考えられないようなカップルが普通に誕生しています。
極端な例では、嫁が沖縄で夫が北海道とかですね。
そのような場合はちょっと注意が必要です。なぜなら、沖縄と北海道では歴史や文化が相当違って人々の習慣も大きく違うでしょう。
ですから、夫婦や両家の意見のすり合わせが大切です。雛祭りはお祝い事ですから、頑なな主張でそれを台無しにするのは本末転倒です。
みなさんが一致した納得で購入しお飾りをしましょう。
お雛様を処分する方法は
結論
最寄りの人形供養を行なっている寺社に持っていき供養をしてもらう
理由
厄災を引き受けてきた雛人形を、お役目御免だからゴミ箱ポイでは、幾ら何でもよくないでしょう。
そのように処分せざるを得なくなった雛人形を引き受けてくれるのが全国の寺社です。
少し費用がかかりますが、ちゃんと供養をしてもらうのが良い方法です。郵送での受け付けをしてくれる寺社もあります。
まとめ
この記事では、お雛様に関係する歴史、そしてお雛様関連の疑問と見解を述べてまいりました。
上でも申し上げましたが、何事によらず、その文化が持っている歴史や背景を知ることは非常に大切です。
また、そこから生まれ守られている伝統を重んじることも、これまた大切です。
しかし、特に戦後、生活が急激に進歩して様変わりしました。また、人々の生活様式も大きく変化してまいりました。
そんな環境下、文化を守っていくのはある意味大変です。一方、文化は時代に合わせて変化していく側面も持ち合わせています。
なので、守るべきは守り、個々の生活に合わない部分はそれぞれのご家庭に合わせてゆくのも当然ありです。
そして、先にも申し上げましたように、地域に根付くあるいは代々守っている文化は、そこで暮らしていくのであれば引き継ぐのが自然でしょう。
一番怖いのは、脈々と続いてきた文化に親が関心がなくて、だから子にも伝わらないことです。
無論、学校でも教えてくれるでしょうが、だからそれで良いというものではないでしょう。
雛祭りという大切な日本文化を、これからも各ご家庭で伝えていってください。
今年も来年も、あなたの代もお子さんの代もその次もまたその次も、毎年毎年お雛様を飾り厄災を引き受けてもらい幸せを願っていければいいと思います。(そんなに女の子が続くわけはないか^^)
コメントを残す