ガソリン税の暫定税率はいつまで続く?廃止が進まない理由と今後

藤原
ガソリン税、なぜいつまでも高いまま?『暫定税率』のカラクリを暴く!

目 次

 

はじめに:「暫定税率」はなぜ問題なのか?

暫定税率は「一時的措置」ではなかった

日本政府は1974年に「道路整備のための財源確保」を目的に、ガソリン税に「暫定税率」を導入した。

しかし、これは「一時的な措置」とされながらも50年以上にわたり維持され、事実上の恒久税となっている。

さらに、2009年にはガソリン税の使い道が「道路特定財源」から「一般財源」に変更され、本来の目的すら失われた。

三重課税という大きな問題

また、ガソリン税には「三重課税」 という重大な問題が存在する。

  1. 揮発油税(本則税率 + 暫定税率 = 49.4円/L)
  2. 地方揮発油税(4.4円/L)
  3. 消費税(上記税金を含む価格に対して課税)

本来、消費税は「商品やサービスの価格」に対して課されるべきものであり、税金そのものに消費税をかけるのは不合理 である。

しかし、我が国ののガソリン税制度では、揮発油税や地方揮発油税を含めた価格に対して消費税が上乗せされるため、事実上の三重課税 になっている。

この不合理な税制は、特にガソリン価格が高騰する時期には消費者への負担を大きくし、制度の透明性や公平性を損なう要因 となっている。

ただし、本記事では 「暫定税率の異常さ」と「財源問題のバランス」に焦点を当てるため、この三重課税の問題には深入りしない。

これは単独でも大きな課題であり、別の機会に掘り下げるべきテーマであることを理解していただきたい。

「トリガー条項」は凍結されたまま

さらに、2008年に導入された「トリガー条項」(ガソリン税のキャップ制度)も、2011年以降、財源不足を理由に凍結されたままである。

本来、この制度はガソリン価格が一定額を超えた場合に、暫定税率を一時停止し、消費者の負担を軽減する仕組みだった。

しかし、制度が機能しないままでは、価格高騰時の税負担は増すばかりであり、政策の公平性や一貫性が問われている。

税制の透明性と公平性の欠如

結果として、国民は「道路整備のため」とされる税金を支払い続けているが、その税収の使途は不透明なままである。

税制の基本原則である「目的税の適正な運用」や「課税の公平性」が大きく損なわれており、これは立法上の欺瞞であり、税制への信頼を損なう問題だ。

 

「暫定」の名の下で50年続いた課税の実態

本来、時限立法である「暫定税率」は、必要がなくなれば廃止されるべきものである。 しかし、日本政府はこれを「延長」の名の下で維持し続けてきた。

その結果、現在のガソリン税の負担は非常に大きくなっている。

  1. 本来の税率(本則税率):揮発油税 24.3円 + 地方揮発油税 4.4円
  2. 上乗せ分(暫定税率):25.1円
  3. 合計:53.8円/L

この 53.8円 という税額は、ガソリン価格の中で大きな割合を占めており、さらに消費税はこれらの税額込みの価格に対して課されるため、実際の負担はより重い。

「道路整備のための税」が、いつの間にか財源不足の穴埋めに

暫定税率のもう一つの問題は、本来の目的である「道路整備」から大きく逸脱している点 である。

もともとガソリン税は、道路の建設・維持管理に充てられる「特定財源」として運用されていた。しかし、2009年の法改正により一般財源化 され、現在では道路整備以外のあらゆる用途に使われるようになっている。

つまり、「道路のため」として徴収される税金が、実際には国の財政補填に使われている という構図になっている。

一般財源化の結果、国民にとっての問題点は2つある。

道路整備が不十分になっている可能性

  • 税収が他の用途に流用されることで、本来の目的である道路の維持・修繕のための予算が十分に確保されているのか不透明になった。

税の本来の役割が形骸化している

  • 「道路のための税」として導入されたはずの暫定税率が、一般財源化により目的を失いながらも、なし崩し的に維持され続けている。

本来、暫定税率は道路整備が進めば不要になるはずだった。 しかし、財源確保のために維持され、その税収が道路以外の用途にも転用されることで、もはや「暫定」とは名ばかりの恒久税となってしまった のである。

「暫定税率」の維持は国民の負担増を正当化する口実になっている

さらに、政府が「延長」という言葉を使い続けることで、実質的な増税でありながら、国民の反発を抑えやすくしている という側面もある。

もし、暫定税率が完全に廃止され、ガソリン税が本則税率に戻れば、国民の負担は 25.1円/L × 全国消費量分だけ軽減されることになる。

しかし、政府は「財源不足」や「道路整備のため」という名目を掲げ、あたかも不可避な負担であるかのように装いながら、課税を継続している。

 

なぜ政府は暫定税率を維持し続けるのか?

ガソリン税の暫定税率は、財源確保の手段として政府にとって非常に都合の良い仕組みであり、50年間維持されてきた。

しかし、その背景には単なる「政府の都合」だけでなく、国民自身の複雑な思惑が絡んでいる。

安定財源の確保

ガソリン税は徴収が容易で、消費量が比較的安定しているため、政府にとって極めて便利な財源である。

この税を廃止すると、約2.5兆円 の税収が失われることになる。これは国家予算全体から見ても無視できる額ではなく、政府としては簡単には手放せない。

しかし、問題はその「財源の穴埋め」をどうするのかという点にある。

一般的な増税には国民の強い反発があるため、政府は「新たな税を創設する」という選択肢を避け、既存の税を「延長」することで、見かけ上の税負担を変えないまま税収を確保し続けている。

つまり、本来であれば財政の健全化や税制改革を通じて解決すべき問題を、「暫定」という名の帳尻合わせで乗り切ろうとしているのが現状 なのだ。

選挙対策と利権

暫定税率を維持することは、単なる財源確保以上の政治的な意味を持っている。

特に、道路族議員や地方自治体、建設業界にとって、この税収は「既得権」として強く根付いている。道路整備やインフラ事業は、地域経済に直結しやすく、政治家にとっては票と支持の基盤となる。

また、財務省も「税収減少」を嫌うため、政府が減税に踏み切ることは、霞が関の力学の中でも非常に難しい決断 となる。

「延長」なら増税の反発を避けられる

正式な「増税」ではなく、「暫定措置の延長」という形を取ることで、国民の反発を和らげ、なし崩し的に維持 されている。

しかし、ここで注目すべきなのは、現状維持を望むのは政府や利権団体だけではない という点だ。

 国民自身が「影のフィクサー」となっている側面

本来、暫定税率のような構造は、総国民が怒るべき話である。しかし、実際には、これを歓迎する層が一定数存在し、それが政治の意思決定を左右している。

例えば、地方自治体にとって道路整備やインフラ維持の予算は地域経済の活性化につながる。そのため、住民の中にも「この税収がなくなったら困る」と考える人が少なからずいる。

また、一部の有権者は「減税よりも、目に見える形での公共投資」を求める傾向がある。

「税負担が軽くなる」よりも、「地元の道路が整備される」「インフラが充実する」ことの方が利益として実感しやすい ため、政府の「財源確保の論理」に同調してしまうのだ。

さらに、国民全体がこの問題を正しく理解しているかどうかも不透明である。

暫定税率がなぜ50年間も続いているのか、本当に必要なものなのか、多くの人は深く考えず、「なんとなく払っている税」として受け入れている可能性が高い。

結果として、暫定税率の廃止が進まないのは、単なる政治の問題ではなく、国民自身が「影のフィクサー」となっている側面もある ということになる。

 

暫定税率廃止を巡る最新の動向

ガソリン税の暫定税率に関する議論は、これまで政府にとって「触れたくない問題」として先送りされ続けてきた。しかし、ついに政治の場で避けられない議題として浮上している。

2025年3月、立憲民主党と国民民主党が暫定税率の廃止法案を提出し、国会での審議が始まった。

これに対し、与党の自民党・公明党は慎重姿勢を崩さず、日本維新の会は「2025年4月からの即時廃止は困難」とし、2026年4月からの段階的な廃止を提案 している。

表面的には、「ついに国会で本格的な議論が始まった」 という構図に見える。しかし、実際には 「本気で廃止に向けた議論が進むのか?」という点に大きな疑問が残る。

過去にも繰り返された「廃止論」の行方

暫定税率の廃止を巡る議論は、実はこれが初めてではない。

2008年の「ガソリン国会」でも、民主党(当時)が廃止を主張し、一時的に暫定税率が失効したことがあった。しかし、結局は税収確保のために復活し、現在に至るまで維持されている。

このように、「廃止」の話が持ち上がっては、結局存続するというパターンが繰り返されている のだ。

今回の審議も、本気で廃止を目指しているのか、それとも政治的なパフォーマンスに過ぎないのか? ここを慎重に見極める必要がある。

争点は「財源の穴埋め」をどうするか

暫定税率を廃止した場合、約2.5兆円の税収が失われる。 これに対し、政府や与党は「財源をどうするのか?」という問いを突きつけてくるだろう。

しかし、実際にはガソリン税がすでに一般財源化されているため、道路整備に使われる割合は減っている。

それにもかかわらず、「財源不足」という理由で維持されるのは、政府がこの税を都合よく使える安定財源として確保しているから だ。

この議論の行方は、単なる税制改革にとどまらず、日本の財政のあり方そのものを問うもの になってくる。

無駄遣いを減らせばいいのでは?

「財源が足りないなら、まず無駄を削るべきだ」という意見はもっともであり、多くの国民がそう考えている。

しかし、国の予算は既得権や政治的配分が絡むため、単純に「無駄を削れば解決」とはいかない現実 もある。

これをどう整理し、納得のいく財源再分配を行うかが、暫定税率廃止の本当の課題となる。

国民の関心が本当に高まるのか?

これまで、税制改革に対する国民の関心は必ずしも高いとは言えなかった。

政府が「延長」という形で暫定税率を維持し続けられた背景には、多くの人が「仕方がない」と受け入れてきたことも一因 だった。

しかし、2025年3月に入ると状況が変わりつつある。

財務省前では連日、消費税の廃止や財政政策の見直しを求める大規模なデモが行われ、SNS上でも「財務省解体」「減税を求める国民の声」といったハッシュタグが拡散されている。

これらの動きは、単なる一部の抗議活動にとどまらず、全国的な関心の高まりを示す指標 とも言える。

地方都市でも抗議活動が広がりを見せており、ガソリン税の暫定税率問題とあわせて、税負担全体に対する国民の怒りが増している ことが伺える。

国民の怒りは持続するのか?

ただし、ここで重要なのは、この関心の高まりが一時的なものに終わらないかどうか である。

ガソリン価格の高騰が続けば、「負担軽減」の視点から関心を持つ人が増えるのは当然だ。しかし、もし価格が安定すれば、「今さら廃止しなくてもいいのでは?」というムードに流される可能性も否定できない。

また、デモの規模が一時的に拡大しても、政府やメディアが意図的に取り上げなくなれば、時間の経過とともに国民の関心が薄れる可能性 もある。

結局のところ、国民がどれだけ本気で「暫定税率の問題」を認識し、継続的に政治にプレッシャーをかけられるか が、この議論の行方を決める。

もし、今回の動きが一時的な盛り上がりに終われば、政府はまた「慎重に検討する」という名目で問題を棚上げし、税制の現状維持が続く可能性が高い。

 

国民の相反する期待:「減税」と「財源確保」

「減税すべき」という声は強い。一方で、「社会保障やインフラを維持してほしい」という要望も根強い。

この2つの要求は、一見すると相反するように思えるが、実際にはどの国でも起こる自然な現象である。

問題は、政府がこの矛盾をどのように解決するのか、そして国民自身がその現実をどこまで理解し、納得できるのかにある。

減税を求めながらも公共サービスは維持したい国民心理

国民が「税負担を減らしたい」と考えるのは当然である。

特に物価高や経済の先行き不透明感が強まる中、家計の負担を軽減する手段として「減税」が求められるのは自然な流れだ。

しかし同時に、国民は社会保障、教育、インフラ整備、防災、医療などの公共サービスが維持されることも望んでいる。

これは、「増税はイヤだけど、生活の利便性や安全は手放したくない」 という矛盾を内包した心理だ。

こうした心理が働くため、政府が「減税すれば財源がなくなる」と主張すると、多くの人は「それも困る」と感じてしまう。

結果として、「増税はイヤだが、減税も大きな議論にならない」という状況が続く のだ。

財源は本当に足りないのか?

政府は「減税すれば財源が不足する」と言うが、本当に避けられないのか?

実際、国家財政には 「聖域化された支出」 が多く存在する。例えば、特定の業界や団体への補助金、効率の悪い行政システム、天下り先の維持 など、見直しが可能な支出も少なくない。

さらに、国の予算は税収だけで成り立っているわけではない。 例えば、日本は巨額の国債を発行して財源を確保しており、財政の柔軟な運用も可能なはずだ。

しかし、ここで重要なのは、財源の確保を「増税か、減税か」という単純な二択で考えてしまうこと自体が、政府にとって都合のいいフレームワークになっている という点である。

減税と財源確保を両立するためには?

減税と財源確保は、本当に両立できないのか? その答えを考える上で、いくつかの視点が必要となる。

税収の増加を目指す方法

  1. 経済成長を促進し、結果的に税収を増やす政策
  2. 法人税や所得税の減税による消費・投資の活性化

税の構造そのものの見直し

  1. 過度に負担が偏っている税制を是正する(例:消費税 vs 所得税のバランス)
  2. 課税対象の適正化(過度な優遇措置の見直し)

無駄な歳出を見直す

  1. 特定の業界や団体に偏った支出を適正化する
  2. 効率の悪い補助金制度の見直し

本当に必要なのは、政府が「財源確保」を理由に減税を渋るのが妥当なのか、国民が冷静に判断できる環境を整えること なのかもしれない。

 

歳出削減で無駄をなくす:どこを見直すべきか?

「増税が避けられない」と政府は主張するが、本当にそうだろうか?

そうではなくて、国や自治体の支出を見直すことで財源を確保する余地はまだ十分にあると私は考える。

ここでは、特に財政の無駄が大きいとされる分野について考えてみる。

地方自治体への財政移転の見直し

国から地方自治体へは 「地方交付税交付金」 という形で多額の財政移転が行われている。しかし、これが地方の自立を促すどころか、むしろ補助金依存体質を強めている という批判がある。

問題点:補助金頼みの財政運営が地方の自立を阻害

  1. 多くの自治体は、独自の財源を確保する努力をせず交付金頼みの運営を続けている。
  2. 全国的に見ると「不要では?」と思われる公共事業が、地方の政治的な都合で維持されているケースが多い。

具体例:過剰なハコモノ行政

  1. 地方の巨大な体育館・文化センター:利用者が少ないにも関わらず、「地域活性化」の名目で建設され維持費が財政を圧迫。
  2. 不要な空港・ダム建設:人口減少が進む地域でも、採算を無視して事業が進められる。

改善策:地方財政の「自立」を促す改革

  1. 自治体が独自の財源を確保するインセンティブを与える(例:税収増に応じた補助金削減)
  2. 交付金の配分基準を見直し「単に補助金を受けるための事業」を防ぐ仕組みを導入

不透明な補助金・助成金の削減

政府から特定業界への補助金が、効果検証なしに慣例的に継続 されるケースが多い。

問題点:誰のための補助金なのか?

  1. 「本当に必要な補助金なのか?」という検証が甘く一度始まった補助金は 「既得権益」と化し廃止されにくい。
  2. 効果の薄い補助金が維持される一方で必要な支援が後回しになることも。

具体例:補助金の流用・非効率な運用

  1. 企業への「環境対応補助金」:本来、環境対策のために使われるはずが、一部企業では「実態のないプロジェクト」に使われる例も。
  2. 農業補助金:中小農家を支援する目的で設立された制度が、結果的に大企業による土地の囲い込みに利用されるケースも。

改善策:補助金の「見える化」と合理化

  1. 補助金の効果を定期的に検証し、基準を満たさないものは撤廃
  2. 特定の業界や団体に偏った補助金の見直し(例:一部の企業や団体が独占する構造を解消)

国と地方の二重行政の整理

国と地方自治体の役割分担が曖昧なため、不要な行政コストが発生している。

問題点:国と地方で似たような仕事をしている

  1. 国と都道府県、市町村の業務が重複し、それぞれに人件費や運営コストがかかる。
  2. 国の補助金を受け取るためだけに、地方自治体が形式的な事業を立ち上げるケースもある。

具体例:行政の重複が生む無駄

  1. 農林水産省・地方農政局・市町村の農業支援策がバラバラ(同じ目的の事業が複数の機関で運営され、コスト増)
  2. 地方の「観光振興事業」:国の観光庁・都道府県・市町村でそれぞれ似た施策を行い、予算の重複が発生。

改善策:役割分担の明確化

  1. 「地方に任せるべきことは地方へ」「国がやるべきことは国で」線引きを明確にする
  2. 補助金の分配ではなく、地方が独自の判断で財政運営できる仕組みを導入

以上のように、

政府は「財源不足」を理由に増税や暫定税率の維持を正当化するが、歳出の見直しだけでも相当な財源を捻出できる可能性がある。

問題は、政府がこれらの「無駄」に手をつける意志があるかどうか だ。そして、国民がこの問題をどこまで深く理解し、行動を起こせるかも、財政改革のカギを握っている。

 

それでも不足する場合、新たな税は避けられないのか?

「歳出の見直しを徹底しても、なお財源が不足する場合はどうすべきか?」これが、最終的に避けては通れない問いである。

しかし、その答えは単純ではない。

政府は『財源が不足すれば増税しかない』というロジックを繰り返すが、それは本当に唯一の選択肢なのか?

新たな税は本当に避けられないのか?

まず確認すべきなのは、政府の「財源が足りない」という説明は、どこまで本当なのか? という点だ。

これまでの章で述べてきたように、財政にはまだ多くの無駄があり、歳出削減だけでかなりの財源を確保できる可能性がある。

それでも足りないと言うなら、次に考えるべきなのは、税制全体の見直しであり、単なる「増税」という結論に飛びつくのは早計だ。

「新たな税」を考える前に、本当に見直し尽くしたのか?

新たな税を導入する前に、以下の点を改めて確認する必要がある。

「減税余地がある分野」はないのか?

  1. 例えば、一部の大企業や特定の業界に過度な税優遇がされていないか?
  2. 税制の歪みがないか?(消費税 vs 法人税のバランスなど)

「より公正な税制の再構築」はできないのか?

  1. 高所得者への適正な課税
  2. 不労所得(金融資産、相続税など)への適正課税

「徴税効率の向上」で解決できる部分はないのか?

  1. 脱税・租税回避を厳しく取り締まり、既存の税制度を適正化する
  2. ブラックマーケットや海外逃避資産に対する課税強化

それでも新たな税が必要なら、どの税が公平なのか?

それでも財源が不足し、新たな税が必要になる場合、「どの税が最も公平か?」 を慎重に議論しなければならない。

考えられる選択肢は、以下のようなものがある。

EV(電気自動車)への課税

ガソリン税は燃料を使うドライバーから徴収するが、EV車には同様の負担がない。自動車税の公平性を保つために、新たな「道路利用税」や「EV税」を導入する案もある。

炭素税・環境税の強化

環境負荷の高い産業や行動に対する課税を強化し、その税収を他の財源に充てる方法。ただし、これは一部業界の負担が大きくなるため、調整が必要。

デジタル経済への課税

グローバル企業やプラットフォーム事業者に対する適正な課税を強化することで、新たな財源を確保。(個人的にはここは特に詰めるべき議論ではないかと考える)

相続税・金融資産への課税強化

相続税や金融資産への課税を見直し、過度な富の集中を防ぎながら財源を確保。

どの方法を取るにせよ、「新たな税」を単に国民全体の負担増にするのではなく、公平な形で設計することが最も重要である。

どんな新たな税でも納税対象者は必ず反対する

新たな税を導入しようとすると、必ず「負担を強いられる側」からの強い反発が起こる。

これは歴史的にも繰り返されてきた現象であり、どれだけ公平な制度を設計しても自分にとって不利益だと感じる人々は必ず反対する。

例えば、

  1. EV税を導入すれば、自動車業界やEVユーザーは「環境に優しい選択をしているのに負担増」と反発する。
  2. 相続税を強化すれば、富裕層は「生前に築いた資産を正当に相続する権利がある」と反対する。
  3. 炭素税を強化すれば、エネルギー産業は「経済全体の負担が増える」として抵抗する。

このように、どんな税制改革を行おうとしても、対象者の反対は避けられない。

そして、その反対の声は、多くの場合、資金力や影響力を持つ業界や団体によって強く発信され、最終的には政治的圧力となる。

「自分の負担増=悪」ではないはずだ

しかし、ここで重要なのは、「負担する側の主張=社会全体の利益」ではない という点である。

税の本質は、社会全体の負担を適正に分配し、公共の利益を最大化することにある。

しかし、負担を強いられる側は、往々にして 「税の意義」ではなく「自分がいかに負担を減らせるか」に焦点を当ててしまう。

これは企業だけでなく、個人においても同じことが言える。

  1. 「自分は払いたくないが、他の誰かが負担すればいい」
  2. 「新たな税は不公平だが、既存の税は仕方ない」
  3. 「社会保障は維持したいが、増税は嫌だ」

このような心理がある限り、どんな税制改革もスムーズには進まない。

公共の利益を考える「視点」を持てるか?

では、どうすれば 「税制改革=特定の誰かが損をするだけのものではない」 という認識を社会に根付かせることができるのか?

最も重要なのは、「社会全体で最適な負担のバランスを考える」視点を持つこと だ。

  1. もし、EV税を導入するなら、それは単なる負担増ではなく、「道路整備の公平な負担」という視点で考えられるか?
  2. もし、相続税を強化するなら、それは「富の過度な集中を防ぎ、社会全体のバランスを取る施策」として受け入れられるか?
  3. もし、炭素税を強化するなら、それは「将来の環境負荷を減らし、次世代への責任を果たす」ための仕組みと考えられるか?

つまり、「税=搾取」ではなく、「税=社会を維持するための適正なルール」として考えられるかどうかが問われている。

 

 

まとめ:減税か持続可能な税制か?国民の選択

減税を求める声は強い。しかし、同時に社会保障やインフラを維持したいという期待もある。

私たちが向き合うべき問題は、「どちらか一方」ではなく、「どのように持続可能な税制を構築するか」 という点にある。

この記事で見てきたポイント

  1. 暫定税率は一時的なものではなく、50年続く事実上の恒久税となっている。
  2. ガソリン税には三重課税の問題があり、税の透明性と公平性が問われている。
  3. 財源不足という政府の主張は、歳出削減や税制の見直しで改善可能なはずである。
  4.  国民は減税を求めながらも、公共サービスの維持を求める矛盾した期待を持っている。
  5. 新たな税が必要になる場合でも、どの税が公平で、どのような負担の分配が最適か慎重な議論が必要。

「税の本質」は何か?

「どの税を増やすか・減らすか」の前に、まず考えるべきことは、

  1. 税は社会を支える仕組みであること
  2. 誰かの負担増は、誰かの利益につながること
  3. 税制改革は「損得」ではなく「バランス」の議論であること

最終的な選択は国民に委ねられる

政府は「財源が足りないから増税」という論理を繰り返すが、本当にそれしか選択肢はないのか?

私たちは、「減税か、持続可能な税制か?」という二択ではなく、財政の最適化と公正な負担を求めるべきではないか?

  1. 歳出削減を優先すべきなのか?
  2. 新たな税を導入するなら、どんな形が公平なのか?
  3. 「税制は変えられないもの」ではなく、「変えられるもの」として考えられるか?

この議論の結論を出すのは、政府ではなく、最終的には私たち国民である。

最後に

「減税」だけでなく、「持続可能な税制のあり方」について、私たち自身が主体的に考え、行動する時が来ている。

しかし、それは一時の怒りやポピュリズムに流されることではなく、根本的な問題を見据え、持続的な議論を重ねることによってしか実現しない。

財務省前のデモやSNSでの拡散が単なるガス抜きに終わるなら、社会は何も変わらない。

本質的な変革を求めるなら、「誰かがやる」のを待つのではなく、自分たちが知り、考え、問い続けることが不可欠なのだ。