台湾に今尚残る日本統治時代の地名の由来と観光情報



台湾に今尚残る日本統治時代にできた地名

この記事は、日本統治時代の台湾で作られ今尚残っている地名の由来についての説明、そして、それぞれのエリアの観光地としての魅力についても触れていきます。

これらを改めて紹介したのは台湾の教育部で、そのFacebook上に場所・地名を表した台湾を載せています。

それが以下に示すものです。↓

日本人が見るとすぐにわかるのですが、これら日本統治時代に作られた台湾各地の地名は全部日本由来というか日本に関係するものです。

その中には日本総統府が命名・改称したものがあれば、日本統治とともに移り住んだ日本人によって命名された地名もあります。

由来は色々で・・・

  1. 日本の地名そのもの
  2. 日本人の人名
  3. 原住民発音の日本式当て字
  4. 元の地名の意味を汲み日本語式に字を置き換えたもの

など様々です。

1945年に日本が敗戦し、入れ替わりに蒋介石・中国国民党が北から入ってきて、台北市周辺を中心に再改名された場所が多いのですが、とはいえまだまだたくさん残ってるんですね。

この記事では、今尚たくさん残る、日本統治時代にできた地名のうち台湾教育部の発表したものについて説明していきます。

北から南に左回りで順にみていきましょう。もし各地区に関係する別記事がある場合は、それも一緒にご案内しています。

 

松山

由来

地図で見るとよくわかりますが、松山区の東側から直角に北側に折れ、更に直角に西側に折れて、やがて淡水川に合流する基隆河が通っています。

以前は、「河が曲がっている場所」という意味の原住民語の音に漢字を当てて「麻里錫口」と呼ばれていましたが、日本統治後、付近の丘に綺麗な松林があり、その風景が日本の松山に似ているということから「松山」に改称されたという事です。

現在の発音は「まつやま」ではなく「ソンサン(若くはソンシャン)」。

発音表記は難しい

台湾の北京語発音は中国のアナウンサーの発音とはかなり違います。それもあって表記しやすい単語とそうでないものがあって悩ましいところです。

 

観光情報

基隆河の南側に隣接して松山空港があり、空港の南側一帯に広がっているエリアです。

大雑把にいうと、南京東路(MRT松山線上の道路)の北側が割と落ち着いた住宅地で、特に延壽街あたりを散歩してると個人経営の洒落たカフェや雑貨店なんかを発見でき、割と穴場かもしれません。

一方、MRT松山線の終点・松山駅のすぐそばから西に約500m延びる饒河街觀光夜市は、日本人観光客に最もおすすめしたい台北一の夜市です。(士林夜市が一番有名ですが私はこちらをお勧めします)

また松山駅から300mほど南に下ると、(松山区ではないけれど)台湾一の衣料品の卸屋街・五分埔商圈が広がっているので、女性観光客にお勧めのスポットです。

さて、台湾のお土産といえば代表格としてパイナップルケーキがあげられますが、松山区には有名な微熱山丘佳徳鳳梨酥もあるので是非お立ち寄りください。

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板橋

由来

このあたりには昔から平浦族に分類されるケタガラン族の居住地で、その部落名を武朥湾社といい、そこに隣接していた擺接(社)が板橋の元の名称です。

やがて漢民族が入ってきて音を当て字し「枋橋」に変えられました。

日本統治時代には、「枋」を「板」に変更し発音も「いたはし」としましたが、現在は「板橋」が残り、発音は北京語読みで「バンチァオ」となっています。但し、台湾語読みではほぼ日本語読みと同じ発音です。

一方別の説もあって、地元に流れる川が土地を分断して不便であったので木の橋を掛け、これに因んだ名称を使うようになったとのこと。

観光情報

板橋区は新北市に属し新店渓という河を挟んで台北市の南側と隣接しています。MRT板南線が通じており板橋駅は台北駅から5駅目です(25元)。

また台鉄・高鉄の大きな板橋駅もあって、台北市のベッドタウンたる地位を確保しています。

正直、観光したいところはほぼありません。板橋区自体が非常に狭いこともありますし。ここでは2つだけ紹介しておきます。

  1. 林本源園邸大富豪林平侯氏が子のために作った邸宅の庭です。台湾でも有数の名園で一見の価値があります。
  2. 三峡老街板橋駅からバスに乗って河の上流に走っていくとやがて三峡に到着します。かつての三角湧街が現在では三峡老街と呼ばれ有名な観光スポットになっています。独特のバロック建築は見応えがあり、金牛角麺包というどう見てもクロワッサンで実は全然違うパンも是非。その他いろいろあって歩き楽しいところです。三峡長福巌も忘れずに。

 

さて板橋は、台北観光の宿泊場所とするのはコストダウンにつながるのでいいですよ。また、出張者の宿泊施設がここであれば、飲食も台北よりは気軽でいいと思います。

また、クリスマスシーズンのイルミネーションとプロジェクトマッピングがかなり大掛かりでとても派手やかで人気があります。

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直接関連はないのですが、東隣の永和区に楊三郎美術館という画伯のお子さんかお孫さんの運営している美術館が非常に見応えある穴場なので是非行ってみてください。

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關西

由来

新竹県関西鎮のあたりには昔から客家人の集落がありました。

彼らが好んで食べる漬物で酸菜(スヮンツァイ)というのがあったのですが、これを客家語では鹹菜(発音記号:hamˇcoi←これ読めません^^)と呼んだそうで、日本人には「カンサイ」に近い音に聞こえたことから日本統治時代に「関西」って表記されたのだとか。

観光情報

関西は日本統治時代、紅茶の生産を中心とした製茶業が非常に栄えて一時代を築いたのですが、やがて衰退し、今は仙草(シエンツァオ)の一大産地になっています。

台湾に旅行してて仙草に出会うのは台湾スィーツの豆花店ですね。夜市でも「仙草」の文字はよく目に飛び込んできます。

小さくて可愛い関西の街、客家文化と日本統治時代の建物そして東安古橋

 

さて、台湾の西側の山沿いを南北に縦断する街道のうち、桃園大溪から台中新社までの約150kmは台三線と呼ばれ、桃園・關西・新竹・苗栗あたりに客家の集落が集まっています。

近年この街道を観光ロードとして整備し、ロマンチック街道なんてニックネームもつけられています。

つまり、新しく観光地として見直されて人気が出ているという事であり、各集落における客家の文化や生活やそして大切にされている歴史的建築物など見所が多く、それになんといっても独特の食文化である客家料理は一度は食べる価値があります。

台北からも新竹からもバスが出ており迷うようなことはありません。

もし客家文化に興味があるなら、北から順番に三坑老街・関西・内湾老街・北埔老街・苗栗(特に龍騰斷橋)と巡ってみるのも落ち着いて味わい深い旅になりそうです。

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清水

由来

清水鎮は、元々、拍瀑拉族(ポパラ族)という原住民が住んでいた地域で、そのころは牛罵頭と呼ばれていましたが、日本統治時代、非常に清い水の湧くところだからと「清水(きよみず、チンシュイ)」と改められました。

事実この辺りは今でも稲作の盛んなエリアです。

私見ですが、日本統治時代、日本人から見て感覚的に字面がイマイチな地名はほぼ全て変えられているように思います。

という事で、今は台中市の一部の清水区となっています。

観光情報

清水の観光についてですが、清水駅のすぐ西側にでっかい台中港、そしてその北には梧棲観光漁港、さらにその北東には台中観光の目玉である高美湿地が美しく広がっています。

photo by 台中市政府観光旅遊局

鰲峰山公園展望台に登れば清水が一望でき、公園のすぐ南側には新石器時代に栄えた牛罵頭遺跡があります。

また、鰲峰山公園展望台とは駅を挟んで反対側に清水眷村文化園があって、かつて日本軍が建て、終戦後、中国国民党の人たち家族が住み、そして今、時が止まってあなたを待っています。

それから、観音廟である紫雲巌も外せませんね。

食は海辺なのでやっぱり海鮮でしょう。その他素朴な地元料理がスイーツとともにいろいろとあります。

行き方は、台中駅から清水駅か、高鉄台中駅なら清水駅へ列車を使うのが無難で、清水駅の前からは高美湿地行きのバスが各系統出てます。

但しローカルなエリアであることを忘れないでください。

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清水区の記事は作成していないですが、台中市の中心部について紹介しています。

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竹山

由来

竹山鎮は、南投県というほぼ全部山エリアである南西部に位置します。同じ南投県では竹山の北東に台湾で最もよく知られている観光地・日月潭があり、竹山の北側には人気の支線・集集線が東西に走っています。

鄭成功の時代、その部下・林圮が一帯を開拓したので林圮埔と呼ばれたことがあります。

日本統治時代になって、この地方では台湾で最も質のよい竹が沢山取れるとのことで「竹山(ちくさん、チューサン)」と改名されました。

観光情報

すごく綺麗な自然と鄭成功時代の建物、そして日本統治時代の建物が残っている、落ち着いた趣の街です。

観光地ではないけれど、まぁ動画をご覧ください↑。行ってみたいと思うでしょう!

風情ある老街や勿論竹細工の日用品・芸術品の数々。少し山奥に入ると林渓森林遊楽区があり、よく整備されているので楽しく森林浴ができます。

台湾各地によく整備された森林遊楽公園がありますが、もしどこも行かれたことがなければ一度足を運んでみてください。日本のそれとは相当違います。

竹山へのアクセスはバスの・・・

  1. 員林客運
  2. 台西客運

を利用します。

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お隣の日月潭を紹介した記事があります。

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民雄

由来

民雄郷は嘉義県嘉義市の真北に隣接しています。

台湾原住民、平埔族系ホアニア族ロツァ支族の集落に「タアニャウ」というエリアがあり、これを台湾語読みした当て字が「打猫」でした。

例によって日本統治時代に日本人の感覚に合わないとし、めっちゃ苦しい当て字で「民雄(たみお、ミンシオン)」と変更したのでした。

すぐ下に説明しますが、高雄の日本統治以前の地名は「打狗」で、日本語読みすれば方や「うつねこ」方や「うついぬ」で、地元民にしてみれば一対の名称だとの認識でした。

で、それもあって「民雄」と「高雄」という一対にしたとのことです。

観光情報

民雄郷は上記の通り嘉義市に隣接しており見るところがないわけではありませんが、どうしても、見るのも食べるのも観光拠点にするのも嘉義市になってしまうのは仕方がないことでしょう。

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嘉義市のめっちゃ詳しい観光記事を作成しています。

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玉井

由来

このエリアの旧名称は大武壠といい、古くからツォウ族の居住地、噍吧哖社(タパニー)でした。

日本統治時代に噍吧哖じゃ読めないので、またも苦しい当て字・玉井(たまい、ユージン)としたのです。

現在、玉井は台南市の区の一つです。

観光紹介

玉井は台南中心から北東約30kmにある山沿いの街で、何と言っても台湾フルーツの故郷です。その代表はマンゴーで、その他ライチやパイナップルもめっちゃ美味しいのです。

日本統治時代は当時の一大産業であったサトウキビの栽培が盛んで、もともと稲作には向いておらず、戦後しばらくしてフルーツ栽培が盛んになりました。

街の中心に青果市場があって、例えばマンゴーの旬なら、とんでもなくよくできたマンゴーがとんでも価格で売っています。このためだけに毎年ここに来られる日本人もおられます。

また玉井で収穫したパイナップルを使ったパイナップルケーキは台湾一になったこともあります。

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玉井も含む台南市の記事はたくさんあります。また玉井のパイナップルケーキについても紹介してますよ。

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高雄

由来

高雄市は台湾で第二位の経済規模を有し面積は台湾一です。また大きな港を抱えており南の玄関口でもあります。

高雄市周辺の昔の地名は先に述べた通り「打狗」と当てられてましたが、もちろん原住民の話し言葉「ターコウ」の当て字です。

日本統治時代に更に当て字して「高雄(たかお、カオシオン)」となり現在に至っています。経緯は、別記事でも詳しく説明しています。

観光紹介

およそ知らない人はいないであろう高雄市。詳しい紹介記事を作成しているので、是非そちらを旅行の参考にしてください。

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鹿野

由来

台東県の鹿野(しかの、リューイエ)です。昔、原住民が鹿猟をしていたので鹿寮と呼ばれていました。

日本統治時代になって花蓮などとおなじように日本から移民が来るようになりましたが、当時の台湾東側は手付かず状態で、毒蛇やヒルや害虫だらけで、それは大変だったそうです。

で、当地に新潟県の鹿野という地方から移民が来たのでその集落を「鹿野村」と命名したことが由来だそうです。

今でも「しかの」が使われる場合もあります。というのも、原住民が複数住んでいて、同じエリアを表す共通の地名言葉がないからだそうです。

観光紹介

台湾が九州くらいの大きさとはいえ東側に来るのはなかなか大変です。なかでも台東県は一番南に位置しているので。

鹿野郷が有名である最も大きい理由は世界的な熱気球フェスティバルが行われていることにあります。その時期の空は色とりどりの熱気球で埋め尽くされ壮観です。

頂上がかなり広く平らである高台に立つと、ここが気球飛ばしに適していることがよくわかります。それ以外の時期でも予約をすれば飛ばしてもらえますが、結構いい値段だったと記憶しています。

また、鹿野は有名なお茶の生産地で福鹿茶というブランドがあります。もし行かれたら紅烏龍茶は必ず買って帰ってください。これ、少し濃い目に冷茶として作ったらとんでもなく美味しいですよ。

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瑞穂

由来

鹿野郷の台東県に隣接する北側の花蓮県にある瑞穂(みずほ、ルイシュイ)郷です。

瑞穂郷のあたりは元々水尾(秀姑巒渓という河の尻尾という意味)と称されていましたが、日本統治後音の似ている瑞穂に名称を変更しました。

「しかの」と同じく「みずほ」は今でも現地の方に使われている場合もあります。

観光紹介

花蓮県といえば台湾観光の目玉、太魯閣国家公園がありますね。これは峡谷が全部大理石でできていて超雄大な景色を見せてくれます。

で、太魯閣が花蓮県の北部なのに対し、瑞穂郷は南側に位置する小さな街です。

台湾東側の他の地域と同じように、瑞穂郷も農業が主産業でいろんな美味しいものがあり、かつお茶に加えコーヒー栽培もしています。

原住民のゆったりした生活体験に温泉、新鮮な食材を使った料理、それに客家文化も混じってますね。

でも短期休暇ではなかなかここまで来る気にはなれないでしょうね。ただですね、3泊4日くらいでも、台北近辺ででバタバタ過ごすより、花蓮や台東でゆったり寛ぐほうがよっぽど記憶に残るのですよ。

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まとめ

台湾の教育部が発表した、日本統治時代につくられ且つ今なお現役で使われている地名の由来と、その地名近隣の観光案内をしました。いかがだったでしょうか。

実は、ここに揚げた以外にもまだまだ沢山、同様の生い立ちを持った地名が今も使われています。

こういった地名に興味を持ってくださったら嬉しいですが、これをきっかけとして、新たに行きたい観光地があなたの心の中に芽生えたならもっと嬉しいです。

台湾人にとっては、こういう地名ができた歴史は痛く辛く悲しいものでもあります。なので、その辺の事情も汲み取っていただければ、尚嬉しいです。

今の状況を台湾の方々に感謝しつつ、どんどん台湾を楽しんでいただけたらこの上なく幸いです。



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